2020年07月02日

「密室殺人」作・田畑稔(no.0377.2020.07.03)

 これほどの密室殺人には出会ったことがない。見事に完全に密室だ。完全に縦、横、高さ、3次元で密閉されている。これほどの密室はないだろう。そしてその中に死体があった。これは見事だ。計画したものは凱歌を揚げたに違いない。もちろん殺人の手掛かりになるものなど全くない。普通の殺人事件であるなら何らかの遺留品はあるものだ。被害者は首を絞められたり刃物で刺されたり、鈍器で殴られたりした跡などが残っているもの。よっぽど用心深い犯人であっても、例えば犯人と揉み合ったときに糸くずの一本くらい落としたり被害者に絡んでいたりするもの、だから入念に調べた。なかった。

 被害者は50歳。まだまだ働き盛り。ここで人生を終えてしまうとは思わなかったろう。無念だと思う。被害者には妻と子供、女の子が一人いた。遅くなって結婚した男だったから子供はまだ中学生。勉強も良く出来て、部活はバスケットボールをやっている。背が高いからだ。バレーボールからもスカウトが来た。背の高い子にありがちなバスケとバレーの引き合い。だが娘は結局バスケを選んだ。彼女はすぐにエースと謳われた。背は高いスタイルはよい、明るくて笑いが絶えないしいつも仲間の中心にいてかわいい。教師たちも目を奪われた。奥さんも近所では評判明るくて誰にも親切でしっかりものの美人。誰に恨まれるなど全くなかった。

 被害者には誰かに嫌われたり恨まれたりなどの情報は全くなかった。よく推理ドラマであるように部屋を全部内側から閉じて、そして睡眠薬自殺するとか首つり自殺するとかしたとしても、それなら胃袋に薬が残るはずだし、首つりしたならそれこそ首にしっかりロープの跡がつく。それが全く残っていなかった。だから自殺の線は消えた、もう自殺は考えなくていいだろうという結論になった。よし、他殺一本に絞ろうと捜査は再開させたが、すぐに行き詰った。被害者に何か殴られたり刺されたり撃たれたりの物理的な力が加わった形跡はないし、毒物を無理やり飲まされた跡もまったくなく、つまり他殺の形跡がない。つまり他殺ではない。

 あとは何が考えられるのかというと、被害者が心臓発作を起こしたのだという説。誰が殺したのでもなく、結局これは殺人事件ではなく単なる事故だという話になった。しかしだったらなぜ死後密室にする必要があるのだという意見も浮上した。人が突然ばったりと死ぬ病気はいろいろある。脳溢血がそうだし肺の血管が詰まる病気もそう。糖尿病も肝硬変も悪化するとすぐ死ぬ。だがそういう重い病気を患っていたとしても、なぜ彼を死後密室に閉じ込めねばならないのだろう、いくら考えても理由は思い浮かばなかった

 もう一度被害者の足取りを精査してみた。被害者50歳男性はいつも通り会社に出た。その日はいつも通り。いつも通りに仕事して、いつも通りに休憩しいつも通り退社した。その後死亡した。死因はわからない。そういえば時間的空白がある。男が会社を出て密室で死亡するまで時間を要している。その間、どこで何をしていたのだろうか。これは重大テーマである。このテーマが解ければ密室殺人の犯人もわかるし死因も特定できる。

「安らかな死に顔なんだよね。何か事件があって、不幸な死に方をしたというんではないんだ。なあそう思わないか」
 そう思わないかといっても男は一人だ。話す相手などいない。男はいつも孤独だ。それは性癖なので仕方がない。寂しいといえばそうだが、いつもそうだから、慣れっこだ。
「君はもう何も食べなくなったんだよね。そりゃそうか。死んじゃったんだから」
 男は彼が死んでいるのに食べ物を取ってやった。
「メロンはどうだい。大きなマスクメロンがあった。マスクメロンて縞々が白くてくっきり浮き上がったのがいいんだって。ちょうどこのメロンはそんな感じだ。ああ、酒飲むかい? 酒があるんだ。嘘だよ。君が飲めるわけないよな。じゃあ、オレ飲んじゃうけどいいかな。けっこういい酒だよ。地元では知られた酒蔵の酒だって。せっかくだからいただくよ。いま酒作る人が少なくなってるらしい、後継者がいないんだって。そのかわり杜氏の技術は最高に上がって、いま酒は最高に旨いらしい。死人を前にしてメロン食ったり酒飲んだりするの悪いとは思うけどね」
 男は死人に杯を傾けた。

「長い付き合いだったよね。思い出もいろいろあるよね。笑ったり泣いたり、楽しいことも苦しいこともあ。でも今となっては全て楽しい思い出かな」
 男は訝った。
「密室は保存されてるけど、捜査は終わったのかな」
 捜査員が指紋を取っているとか遺留物を探しているとか、そんな感じまったくない。解剖は行われたのだろうか。死因を特定するためには解剖が必要なはずだ。だがやってない。やった形跡がない。

 人が集まって来た。みんな黒い服を着ている。大勢が座った。しかもみな同じ方向を向いている。先頭に頭を剃った紫色の着物を来た男が座った。目の前に木魚を置いてポクポクとバチで打ち始めた。なかなかいい音だ。たまにしか聞かないがいい音だ。楽しい。しかし、これは葬式の風景ではないのか。いやまるで葬式だ。木魚をたたいて経を唱えているのは坊主だ。

 私は葬式に参加している。死んだ男に目をやると相変わらず密室にこもっている。よく見ると密室は寝ている被害者ぎりぎりの大きさだ。長さ、幅、高さ、被害者の体の大きさ少し上回るだけだ。とても小さい。男は密室というよりまるで棺桶に入っているようだ。だからなのか、顔の部分に小窓が開いている。確かに考えようによっては棺桶だ。だとするとこの密室は棺桶なのか、被害者は密室殺人の被害者でなく単に男が棺桶に入って葬式やってるってだけなのか。

 坊主が振り返った。本日は○○様のご葬儀にお集まりくださいまして…故人は大変有能な社員でありましたが、などと言っている。これは間違いなく葬式だ。そうか間違っていた。狭い密閉されたところにあった死体なので、てっきり密室殺人だと思った。つまり彼は死ぬ前に密室に閉じ込められたのではなく死んでから棺桶に入れられたと、こういうことだ。

「人は死んでどこへいくのでしょう」
 坊主が偉そうに説教を始めた。
「天国とか極楽とかいいます。みなそこへ参ります。ただ往々にして、死んだ人が自分が死んだことに気付かないことがございます。気づかないで、幽霊だとか亡霊だとかになり、浮遊している場合がございます。普通はそれらは見えません。特別に勘がいい人がいて見えることもあります。だいたいは男より女、大人より子供に霊感があります」

 娘が妻に言った。
「お母さん、お父さんがいる」
「え? お父さん? どこに?」
「棺桶の小窓から眠っているお父さんをお父さんが見てる」
 坊主が言った。
「そうですか、娘さんには見えているようです。来ていらっしゃるようですね。ご主人」
「自分が死んだことに気づいてないんでしょうか、うちのお父さん」
「それはよくあることなんです。けっこう難しいんです、死を認識するということは」
「死を認識できなくて、またこの世に戻って来たりってことはないですよね。もう保険金の支払いは済みました。生き返ったからカネ返せなんてことになったら嫌ですし」
 娘が言った。
「お父さん、こっちを見てる。あたしやお母さんを見て不思議そうな顔してる。家族だってわからないのかしら」
 お父さん! と娘がよびかけたとき、妻は制した。お父さんに声を掛けたりしちゃダメ。お父さんは死んだのよ。薬も刃物もいっさい使わず死んだの。死んだと思わせることに成功したの。一念天に通ずっていうでしょう。思えば実現する。被害者にも加害者にもならず、ただ家族のために己を保険金に変えてくれたのだから、このまま事態を前に進めましょう、さっさと葬式を終えてくださいなとお母さんは坊さんにきっぱりと言った。
(了)











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2020年07月01日

「芋虫」作・田畑稔(no0376.2020.07.02)

 子供の虫好きというのはそりゃあもう無類だね。どうしてあんなに虫が好きなんだろう。食べるものなんかだと子供の時から大人になっても好き嫌いはそんなに変わらないが虫は違う。子供の時は虫好きで虫とは大いなる友達であったりするのだが、大人になるととにかく徹底的に周囲から虫を排除する。這いもするが時折飛ぶことがあるゴキブリの飛行に遭遇したりした場合、新聞か雑誌をっもって叩き落とそうとする。叩き潰したりする。そこだけ見れば狂気の沙汰。これは、簡潔に言えば虫によって彼は発狂させられた。

 虫が嫌いな大人に理由を聞いてみると、まず毛がダメだと言う。毛はまず直感的に嫌だ。哺乳動物の毛ならいいんだが、例えば犬とかなら問題はない。しかし虫の毛は苦手だ。好きな人はいないんじゃないかな。触ると腫れるというのもある。毛虫に触ると毛が抜ける。この毛がまた痒いときている。これはね虫の作戦、深謀遠慮。虫って小さいし蛋白質が豊富。たんぱく質の塊だ。餌にしたい側からするとこんなにおいしい餌もない。だからといって捕食者に食われれままになってたらすぐ絶滅してしまう。だから毛がある。毛が生えている毛虫は捕食者には実に食いにくい。毛が口の中に刺さる。おまけに毛には毒がある。体重数十キロの人間であっても赤くミミズ腫れするのだから小動物にとっては猛毒に違いない。毛は抜けやすくなっており、飛ばすこともできる。つまり毛虫は飛び道具携帯済みだ、近寄れない。これによって毛虫は簡単に食われない。

 芋虫によっては臭いという武器もある。頭に格納してあった角みたいなものをニュッと出す。これが臭い。胴体から体液を放出する芋虫もいる。彼らなりの生き延びる術なんだろうな。だから芋虫って毛がないがこうして気持ちの悪い臭いを発し外敵と戦うとか、触ると皮膚に炎症を起こすような体液を出す。だが大人ならみんな嫌いなこれら難物を乗り越えてなお芋虫が好きなのが子供。特に少年。少年は本当に芋虫が好きだ。どんな芋虫でも触るし、撫でることができる。いつ何度でも触って楽しい。芋虫を愛してる。

 だから芋虫の方からも好かれている。子供が芋虫を愛する分芋虫も子供を愛する。それは間違いない。子供によっては芋虫の気持ちがわかる。だから芋虫の方も子供の気持ちがわかる。それが離れていても通じるようになると本物だ。テレパシーなのかもしれない。心と心が通じ合う。そうなると少年と芋虫との関係において完璧だ。人が人以外とコミュニケーションが取れるのだから。これはものずごい。

 少年は芋虫が徐々に大きくなってきていることにしっかり気づいていた。だからこのペースで行けばじき虫カゴには入らなくなる。そして少年は太った芋虫の胴体を握って、ニギニギと弾力豊かな芋虫握ってを楽しんでいる。イモ虫の方も握られて、そして自分の内臓と体液が体内を移動することを楽しんでいる。

「ケン、ケン!」
 お母さんがケンを呼びながら虫カゴを見ていた。
「芋虫、随分太ったわねえ。食べすぎ? 見てるととにかく葉っぱ食べてるわよね。だから太るのかしら。ねえケン、このイモ虫は何になるの? 芋虫だから蝶とか蛾とか?」
「このイモ虫は何になるかわからない。ならないかもしれない」
「ならない? 芋虫が蝶にも蛾にもならないことってあるの?」

 ケンは何も話さず芋虫の背中を撫でてやっていた。芋虫は一層大きくなっていった。もはや通常の虫カゴには入らない大きさにまで肥大し、もはや芋虫がカゴのサイズを超えて胴体が枠からはみ出ていた。芋虫はカゴの中で折り返すことができなくなり、それはあまりにもかわいそうだとお母さんが大きな虫カゴを買ってきた。芋虫の胴体はもう大人の二の腕くらいあった。

「ケン、芋虫また太った?」
 芋虫は大人の太ももくらいあった。お母さんが買ってくれた虫かごが早くも狭くなってきた。毎日葉っぱを入れているがその食べる量が普通ではない。ケンは毎日木の枝から切り落とした葉っぱをせっせと虫カゴに運んだ。葉っぱを運ぶと芋虫は嬉しそうに上半身を起こす。だから嬉しさがケンにも伝わってくる。基本無表情の生き物ではあるが、葉っぱを持っていくと心なしか表情がなごむ。葉っぱを噛む音も豪快だ。シャキシャキっと遠慮ない。

「こんなに大きくなったの」
 ケンは芋虫をベビーベッドに収納していた。古道具屋で購入した。
「上がないけど大丈夫?」
 屋根がないのはベビーベッドだから当然だ。転落しないよう前後に柵はあるが上にはない。
「体重増えちゃったから柵を越えられないと思うんだ」

 芋虫はさらに大きくなってベビーベッドの柵にも収まらなくなった。仕方がないのでケンは芋虫を部屋で飼うことにした。芋虫は太って愛嬌のある表情でのべつ動き回っている。動くと言っても芋虫だから移動は速くはない。しかし100もある足を懸命に動かすからいつの間にか隣の部屋まで行ってしまう。ある時、宅配便の荷物を受け取っていたお母さんの後ろに芋虫がきていた。宅配便ドライバーがお母さんの背中越しに彼を見つけ、ものすごく不思議な顔をしてそして青ざめて逃げるように帰った。

「ケン、芋虫部屋から出さないで。宅配便の人、青くなって逃げてったじゃない」
 お母さんが振り返ったが、ケンはいなかった。出かけたのかと思って玄関の靴を見るとケンの靴があった。ケンはいる。
「ケン、どこにいるの?」
 部屋に行くと芋虫がいた。だいぶん育ってはいるがいつもの芋虫だ。ニュっと角を出して臭いを発していた。最初はいやな臭いだったが、慣れると意外と心地よくなってきた。ケンとは違い、そう毎日芋虫と付き合っているわけじゃないお母さんでもそうなのだ。
「ということはケン。もしかしたら…」
 後ろを振り返ると、さらに巨大になっていた芋虫が上半身を起こしていた。芋虫はお母さんに向かって歩みを進め芋虫の冷めた目に射すくめられ動けなくなっていたお母さんの首を噛み切った。

 帰ってきたお父さんは状況が飲み込めなかった。家のなかに巨大なサナギがあってしかも糸を張って周囲は守られていた。それが二つあった。唖然とするお父さんの目の前のサナギが動きだした。サナギは割れ、巨大な蛾が現れた。二つの蛾は一方が大きくもう一方は少し小さかった。黒い無機質な目を晒し、畳んでいた羽根をゆっくり開いた。顔は蛾だったが体は人間だった。大きい方は女の体、小さい方は若い男の体をしていた。蛾はすっかり羽根を伸ばすとと大きく羽ばたいて、大空に消えた。
(了)










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2020年06月30日

「特急」作・田畑稔(no.0375.2020.07.01)

 これほど結果が明らかな勝負というものもないね。見え見えでしょう。勝ち負け見えてるのにさ、あえてやるかなあ。意地悪というか意地悪過ぎる。ちょっとひどい、ほんとひどいよね。誰が考えたんだろう。勝負になんないよ始めから。勝負の妙なんてまるでない。やめた方がいいとさえ思う。ほんとに勝負を決めるんだろうか。勝負の神様がいたらなんていうだろう。こいつはあまりにひどいと怒るだろう。ほんと、神様の気持ちわかる。戦うなら戦うでもいいからもう少し勝ち負けの確率近づけようよ。これじゃあ、100%対0%。だよね。誰が聞いてもそうだよね。負けが決まってる側は可哀そう。

 東京から大阪までを走る電車の競争だというんだけど、片方は普通の電車。東海道をゆっくり走る。ゆっくりといっても130km出すんだよ。昭和10年ころなら超特急だよ。当時思っただろうね。東京ー大阪が6、7時間で行けるんだ。徒歩20日、飛脚で5日というから、それに比べりゃ速い、夢の超特急。でもね、時代は進んだよ。今度東海道線普通電車と競争するやつはリニアモーターカーだ。リニアモーターカーと競争するんだよ。競争するの誰よ。信じられないね。 

 ほんとなの? ほんとにやんの? って誰もが思った。こんな結果見えてる勝負やって何になるの? って思ったね。でもまあまあイベントだから、お祭りだから。日本で初めてというか世界で初めてのリニアモーターカー商業運転の時代がやってきたんだからと、それを祝してさってことで収めてよ。

 1番列車は問合せ殺到。もう何千倍の確率になっちゃった。厳選なる抽選の結果何十名かが当選した。何十人しか乗れないの? いくらなんでも何十人とは少なくないかと聞いたら、スポンサー様筋が大量に乗り込むらしい。まあ仕方がない。どこの世界でもスポンサー様は大事だ。なにしろ建設資金があまりにもかかったためなんだ。あまりにもだよ。あまりにも建設資金膨らんで、とてつもない額になった。関係者は本当に一時期考えたらしい。こりゃもうあかんて。もうだめだって、白旗あげるって。日本においてリニアの歴史は頓挫、もういい、諦めたとそう思っていたとき、助け船が入った。

「それはどこから? 金融筋? 政府とか?」
 幸運にもリニアモーターカー1番列車の抽選に当たった男が言った。
「実際のところはよくわからないが、闇金融みたいなヤバイところではないようだ。考えたらわかるけど、裏町でひっそり目立たなく店構えてる闇金融が貸せるカネじゃない。でもね、あまり大っぴらには言えないらしくって、みんな口をつぐんでる」

 ジャーナリストは言った。
「ヤバイところじゃないんだったら言ったっていいじゃないですか。教えてくださいよ。リニアの建設費ってけた違いだったそうじゃないですか。ほんとに桁が二つも三つも違うっていうんですから。どうしてそこまで桁が違うのかって話もあるが、なぜそこまで予算が狂ったのか、一時は途方に暮れた。しかし助け船が入った。国家的プロジェクトの助け舟なんだから助け船のほうも国家的なんだろうな。どこの誰なのか。それ聞きたいな、ぜひ教えてくださいよ」

 記念すべきリニアモーターカーが静かに発進した。名古屋まで1時間、そこから京都20分、さらに大阪10分だ。車内アナウンスの前にオルゴールが鳴った。汽笛一声新橋を~の鉄道唱歌だ。時代は変わってもやっぱりこれなんだな。鉄道マンの魂はこれなんだなとジャーナリストは微笑んだ。
「この曲はスポンサー筋には不評だったらしいです。でもどうしても当日だけでもいいから鳴らせてくれと、頼み込み今日一日は鳴らせてもらえることになったみたいです」
 1番列車の男の説明にジャーナリストは訝った。
「スポンサー様というのは前の方ですよね。座席は空いたまま、誰も乗ってませんけどね。名古屋から乗って来るんでしょうか」
 リニアモーターカーは全線トンネルだ。何しろ地上に建設できる余地はないし、距離を短くするためには南アルプスを貫くしかない。
「全線地下を通ってるんですね。外を見ることがまったくできないのは寂しいですよ」
「それに比べると、東海道線普通電車のほうが景色が見られて楽しいですよね」
「じゃあなぜリニアモーターカーなんか造ったんでしょう」
「速く行けるからでしょう?」
「速くいって何するんですかね。名古屋や大阪から通わなくちゃできない仕事なんて何があるんでしょう」

 そりゃそうなんけどねと1番列車の男が言った。それにしても地上数十センチのところを飛ぶリニアモーターカーは振動もなく、ジェット機のように燃料を爆発させないから、静かに走っていった。
 隣の車両に通じるドアが開いた。数人が乗り込んできて、空いていたスポンサー様席に座った。スポンサー様が来たらしい。
「なるほど、スポンサー様とは彼らだったのか。それだったらわかる」
 彼らは白い装束で包まれていた。そして頭に輪が乗っていてその帽子が肩まで下がっていた。
「アラブの石油長者だったんだ、リニアのスポンサーは。そりゃそうだよね。彼らしかいないだろうね。二桁も三桁も違う建設資金を出せるスポンサーなんてね」

 すいぶん太った男が現れた。シャツにベスト、キラキラ輝いている。余裕のあるズボンも足首で絞め、靴はつま先が尖がって上を向いている。頭にはターバンが巻かれていてまるでアラビアンナイトだ。しかも彼には従っている者が何人もいる。つまりアラビアンナイトの男はかなり偉い人物らしい。それでも先頭に座ったわけではなかった。スポンサー様席は後ろから埋まっていっていた。リニアモーターカーの最前列には壁いっぱいにスクリーンがあり、前方が撮影されモニターされていた。つまり前面に窓が広がっているのと同じだった。
「あのスクリーンは、パノラマ電車みたいに眺めがいいが、でもトンネルだからね。まるで高速の地下鉄だ。そこが残念だね」

 連絡通路のドアが開いた。大柄な男がやってきた。装束の形は同じだが、それは金色をしていた。裾は長く明らかに後ろに引きずるほど。頭に被る帽子も金色、留めている輪っかも金色。最高級に高い位の男らしく見えた。男は思った通り最前列に座り背を深く下ろした。最前列では確かに景色は見やすいだろう。しかしリニアモーターカーは依然としてトンネル。トンネル内の照明が1秒単位くらいに後方に流れていく。

 スクリーンが急に明るくなった。え? 名古屋に着いたのか? いくら何でも速すぎるだろうと思う。しかも駅に着いたとしてもリニアモーターカーは減速しない。空が明るい。リニアモーターカーは駅に着いたとしても青空ではないはずだ。眼下に景色が見えてきた。家が密集している。名古屋の町なのかと思ったら違う。ここは日本ではない。高い塔の上にネギ坊主がたくさん載っているからだ。まるでアラブだ。ネギ坊主はイスラム寺院とするとイメージにぴったりだ。ここはアラブなのか。

「あれ見てください」
 1番の男が窓の外、上部を指した。あれは他に表現のしようがない、誰であっても見た瞬間に同じ答えをいうだろう。
「空飛ぶ絨毯ですか? でもまさか空飛ぶ絨毯が…」
「そのまさかです。空飛ぶ絨毯です。上に、太ってノースリーブ、頭にターバンを巻いたヒゲを上に反らした太った男がいるでしょう。アラジンの魔法のランプの魔人でしょう」
「どうして魔人が飛んでいるんでしょう。ここは…」
「アラビアンナイトの世界ですね。実はリニアモーターカーはの抽選に当たってから噂が聞こえてきてたんです。リニアモーターカーは寄り道するよって。スポンサーの要求だから逆らえないとも。どこへ寄り道するかはわからなかったんですが、まさかアラビアンナイトとはね」

 リニアモーターカーは駅に到着した。ホームが大理石になっていて恐ろしく広い。空飛ぶ絨毯が何枚も、人を乗せて飛んできた。乗っていた人は降りると今度はリニアモーターカーから降りた人が空飛ぶ絨毯に乗ってどこかへ去った。
「空飛ぶ絨毯てタクシーだったんですね」
 ジャーナリストが驚くと1番列車の男は言った。
「よく見ていてください」
 リニアモーターカーを降りた状客がポケットからランプを取り出してランプを擦った。するとふと空飛ぶ絨毯が現れて魔人が乗っていた。
「携帯用ってわけですね。全く便利ですね」
 乗り降りの乗客が尽きるとリニアモーターカーは再び飛び上がった。
「これはどう解釈したらいいんでしょう。現実ですかそれとも夢ですか。またはCGとかAIロボットの世界ですか?」

 1番列車の男は客席の前方を指した。スポンサー席の白く長い衣装で、帽子に輪を乗せた客たちはみな嗚咽していた。むせび泣いているのだ。
「彼らにとっては故郷なんだろうな。彼らの一番良かった時代に帰れて涙しているんだ」
 ジャーナリストは言った。
「アラブ世界の最も繁栄した幸福な世界に戻りたいとこういうことなんですね。それが実現して泣いていたと。つまり、スポンサー様の要求とはこれだったんですね」

 リニアモーターカーの走行実験を重ねているうちにリニアモーターカーに特別の能力があることがわかった。それは時空を飛び越えること。最初は偶然に過ぎなかったが、それをコントロールできないかと考え研究が進められた。だがその研究には膨大な費用必要なことがわかり、カネのある国家、つまりアラブ世界に売り込みをかけ、彼らの望むアラビアンナイトの世界に行くことが可能になった。
「だから、アラビアンナイトの世界は彼らが求める現実でもあるし夢の世界でもある。良き昔でもあるし、現実と並立する別の今であるかもしれない。だから彼らは莫大なカネを出したんだ」

 リニアモーターカーは大阪駅に到着した。まだ東海道普通列車は到着していなかった。
「普通列車はまだ着いてないね。やはりこの勝負、リニアモーターカーが勝ったね」
 ジャーナリストは単純に喜んだが、1番列車の男は腕時計を見ながら言った。
「時間がおかしいんだよね」
「何時? 速いの、遅いの?」

 1番列車の男は首をひねった。1番列車が着いた時にセレモニーが行われると聞いていたが、それらしきものは行われていなかった。閑散とした大阪駅のホーム見て言った。
「ここは本当に大阪駅だろうか」
「大阪でしょう。なんとなくあまり見たことのない雰囲気だけど」
 1番列車の男がホームの案内板を見て言った。
「よく見て。大阪ではなく、大坂になってる」
 ジャーナリストは眼を凝らした。確かに大阪でなく大坂だ。
「大坂が大阪に変えたのはいつだっけ?」
「江戸の終わりごろじゃなかったかな。坂は土に返る、死ぬことだから縁起が悪いとかいって」

 大坂が大阪に変わらず大坂をそのままやっている日本に来ていた。
「これも噂なんですけど、リニアモーターカーはスポンサーが望む世界へ到達させることはできたが、その後はどこへ行ってしまうかについてはまだ不安定だと言われていた。しかしおカネはほしいしリニアモーターカーを早く走らせたかった。案の定別の世界に行ってしまった」

 ジャーナリストが肩をたたいた。
「見てくれよ、あれを。東海道普通電車じゃないか。やっぱり同じ路線を走っていた。帰りはあの電車だろ? ちょいと時空がズレた社会に来てしまったが、あれで帰ればいい。難しいことは後にしてまず元の世界に帰ろうよ」
 1番列車の男とジャーナリストは普通電車に乗り込んだ。その電車はずいぶん小さくてしかも古い。いつから走っている電車だろう思って聞いた。満員電車で座っている老婆が、ずいぶん前から走ってますよと言った。電車はまるで市電だった。わずか豆電球が3つばかりついただけで車内は暗かった。見ると乗客のほとんどは頭巾をかぶりうつむいて重苦しかった。

「市電に乗ってどこかで乗り換えですかね」
「聞いてみよう」
 1番列車の男が言った。この電車はどこで東京行きに乗り換えですか? と聞くと頭巾の女が言った。この電車は市内を回るだけですと言った。
 大きな建物の前に来た。ビルだった。ビルの中央部は一段高くなって頂部がドーム型に膨らんでいた。あの建物はと聞くと頭巾の女が広島県物産館だと言った。ジャーナリストはふと気づいた。今日はいつだったかと聞くと乗客の男性は8月6日だと言ったのでもう一度と、今年は何年だと聞くと乗客は昭和20年だと答えた。ジャーナリストは焦っていま何時かと聞くと8時15分だと誰かが答えた。朝は通勤客が多く混むから申し訳ないね、旅行で来たんですか? 身なりがきれいだから他所の人かと思ったと電車の中で笑いが起こった。
「逃げなきゃ…」
 1番列車の男が言った。
「オレもそう思う。逃げよう、とにかく」
 だが電車内は混雑しジャーナリストたちはすぐには電車から出られず、観客を掻き分けて出口にたどり着いたとき誰かが、パラシュートだと叫んだ。乗客のみんなが空を見上げた。
(了)












posted by 田畑稔 at 20:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする