2019年11月26日

「瞽女」作・田畑稔(no.0164.2019.12.03)

 女たちが列をなして歩いていた。
 女たちは着物、ワラジに蓑笠、一方の手で杖を、空いたもう一つの手で前の女の肩に手を置き歌いながら歩いていた。周囲の者は彼女たちが何者であるかすぐにはわからなくても、そのうちわかった。彼女たちは盲人であり、彼女たちは瞽女であった。彼女たちを見る目は好奇なそれもあったが、たいていは激励の温かい目だった。
「瞽女さんだよ」
「瞽女さんて、まだいたんだ」
「何して稼ぐの?」
「歌ったり、踊ったり」
 瞽女たちは小さな温泉宿に上がった。三味線や太鼓の演奏に合わせて踊って唄った。なれない座敷でつまずきやしないかと思うのだが、足袋に目がついているのかとおもわれるほど、正確に畳を擦った。
「さすがは慣れたものだね」
「初めて見たけど、ひなびた温泉宿にピッタリじゃないか」
 瞽女さんたちに、おひねりが配られた。瞽女たちの収入は町から、少しだがある。町の無形文化財の指定を受けているからだ。だがもちろんご時世である。十分な額には程遠い。しかもそれは減少しつつある。それでも彼女たちはいつも最大級の感謝を忘れなかった。それだからこそ瞽女は町で愛されるのだ。
「ユリさん。はい、瞽女さんたちのきょうのお手当」
 女将が差し出すと、瞽女たちのリーダー、ユリは頭を下げ受け取った。
「行政からの補助金がまた削られたんだって?」
「はい、ご時世ですから」
「困ったもんよねえ」
「わたしたち、みんな寄り添って頑張りますから」
「お手当も6人で割ると、一人当たりはたいした額にならないわよね」
 ユリは言った。
「6人いますか?」
「あたしには6人に見えますよ」
「最近まで5人でした。誰だろう無断で瞽女になったのは」
 ユリは笑った。瞽女たちは、自分たちがいま何人で行脚しているのかよく知らなかったのだ。だが盲人なら瞽女の仲間。瞽女として一緒に歩くのだ。それでいい。瞽女たちはそれは了解済みなのだ。
「はい、番号! 一!」
 ユリが号令をかけると声が続いた。
「二、三、四、五、六!」
「6人か。やっぱりいま6人いるのね」
 瞽女たちは見えないが、見つめ合った。
「ま、いいさ」
 相手が盲人だと思うと嫌がらせも多い。お座敷でおひねりを持ってきた男が、瞽女の手をつかんだりそれを引いたりされることはよくある。
「おやめください!」
 男はユリの手をつかみ、そして肩を抱き寄せようとしたのだ。
「お願いです。やめてください」
 男は、簡単にはやめなかった。
「いいじゃないか、少しくらい。手当を追加するからよ」
 そういう場合は瞽女たちが寄ってたかってユリを奪い返すしかない。するとたいてい男は毒づいて帰る。
「ユリ姐さん、無事かい?」
「大丈夫。心配ないわ」
 ユリはいつも気丈だった。旅館の女将さんの耳によからぬ噂が入ってきていた。
「補助金の不正受給があるんじゃないかっていうのよ」
 ユリが呼ばれたのだ。
「瞽女さんのグループに目の見える人まで紛れ込んでいるんじゃないかって」
 ユリは絶句した。
「市の担当者に密告じゃないけど、告げ口ね。言った連中がいるのよ。目の見えない人たちへの補助金なんだ、目の見える人が瞽女を語ってたら不正受給じゃないのかって」
「あたしには見えませんが、見える人が混じってますか? 瞽女に」
「あたしはわからない。いちいち視力検査するような問題じゃないし、あたしはそんなの嫌だしね」
 確かにユリが知らないうちに瞽女は増えていた。だからといって目の見える者がわざわざ盲人を語って瞽女のグループに加わるだろうか。それとも瞽女がもらってるわずかな補助金すら妬ましく思う者がいるのだろうか。ユリは寂しく思った。ユリは列を作って歩くとき、人数を数えた。
「はい、番号! 一!」
 声が続いた。
「二、三、四、五…」
「…きょうは5人かい? 一人どこ行ったの?」
 瞽女の一人が言った。
「師匠がいないような気がするんです」
「師匠? 師匠、いないの?」
 瞽女の中で最年長、歌や三味線も長く、みんなから師匠と呼ばれていた女だ。だが、きょうは声をかけても返事がないのだ。
「師匠、いつからいないの?」
 返事はなかった。返事がないと気が付かないのだが、みんな盲人なのだから仕方がなかった。
「きのうは隣町の料亭だった。そこを跳ねてからみんなで肩に手を置いて並んで帰ったよね。師匠の歌も聞こえた。でもそのあとの記憶が…」
 瞽女は隣町までの経路をたどることにした。一列になって前の瞽女の肩に手を置いて、祇園小唄を大きな声で歌った。 
 …月は朧に東山 霞む夜ごとのかがり火に 夢もいざよう 紅桜…
 雪が降ってきたと思ったらすぐに吹雪いてきた。瞽女の頭の笠はすぐに雪が積もり顔を冷たくたたいた。雪でなければ道はわかったかもしれない。しかし、盲人の瞽女たちは道がわからなくなってしまった。ユリはじめ瞽女たちは師匠を探す前に立ち往生をしてしまったのだ。
「ユリ姐さん。あたしを先頭にしてください」
 瞽女の一人が立った。
「え? あなた、道見えるの?」
「見えます。ごめんなさい」
 瞽女は目の見える女を先頭に、肩をつなげて進んでいった。そして発見した。人だかりがあって、そこに冷たくなってしまった師匠がいた。
「師匠! ユリ姐さん、師匠がいました」
 ユリや瞽女たちが駆け寄った。瞽女たちは師匠の亡骸にすがった。
「この瞽女さんは、あんた達の仲間かい」
 ユリが答えた。
「師匠はどこにいたんですか…」
「きのう仲間とはぐれたらしい。ここで動けなくなって、雪の中冷たくなっていたよ」
 師匠は事故死でもなく、もう亡くなっているので病院も出され、ユリたちは師匠を連れて帰った。連れて帰るといっても次のお座敷へ行くための旅館でしかない。旅館は迷惑そうな顔をして、早めに切り上げてくれと露骨に言った。
 ユリたちはその時間からどこへも行くところなどない。辛くなって泣くしかなかった。
「ごめんなさい嘘をついて。あたし働くところが一つもなくて、それで…」
「いいのよ。歌も三味線も頑張っていたじゃない」
 ユリも瞽女たちもみんな目が見える女のことは許した。ユリたちは師匠を担いで宿を出た。行く先があったわけではない。行くところがないから師匠を担いで出た。雪はいっそう強くなりユリたちは動けなくなった。もう力も尽き、生きてことが難しくなったと思った。このまま死んでしまうのかと思った。
「師匠、あたしもいっしょに行くわ、寂しくないでしょ。あたしたちも寂しくないわ…」
 瞽女はみんなで抱き合い、そして眠った。雪はいつまでも止まず瞽女たちの上に白い塊を作った。
(了)


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「古井戸」作・田畑稔(no.0163.2019.12.02)

 気味の悪い井戸だ。
 枯れ井戸ではない。水はあるようだ。夜ともなると井戸水は真水なのか泥水なのかもわからない。恐る恐るのぞいてみる。石ころの一つも投げ入れてみる。けっこう時間を要したうえにトポーンと。かなり深い井戸、そのうえ水もなみなみと湛ているのがわかる。
 よく見ると、たとえよく見なくてもわかる。何かいる。のぞくとそいつと目が合ってしまう。でも水くみはたいてい子供の仕事。桶を落とした時にその変なそいつ、オバケが、井戸に落とした紐のついた桶の脇に顔を出して桶を握っていたりする。握らないでくれよ、離してくれよと子供なら泣いてしまうかもしれない。けっして桶を引き上げるのを邪魔して桶を引っ張ったりするわけではない。ただこの世の目じゃない丸い目で、じっと見る。だから余計に気持ちが悪い。
 オバケとはなんだというと、オバケはオバケとしか言いようがない。容姿をいうと大きなサンショウウオにも似てる、ヌルっとしている。さすがは古井戸の住人である。そして意外なことにしゃべるのである。子供が水くみにやってくると言う。
「カネは欲しくないか」
 子供は無言で桶を下す。
「おい、聞いているのか。カネは欲しくないか。答えよ」 
 子供は水を汲むとオバケにアカンベーして去った。次に来たのは女だった。女は桶を井戸に降ろした。
「カネは欲しくないか」
 女は恐る恐る井戸をのぞくとオバケがいた。
「カネは欲しくないかと聞いてるんだ。金貨をやるぞ。どうだ?」
 女は震えながら桶を下した。
「おカネも欲しいですが、今は水が欲しいです」
 女は水桶を抱えて去った。次に現れたのは男だった。桶を井戸に下した。
「カネは欲しくないか」
 男が井戸をのぞくと、丸い二つの目がこちらを見ていた。ほらきた、とオバケは思った。
「カネをいただけるんですか?」
「やるぞ、金貨をやる。欲しければ手を伸ばせ。こちらは井戸の中なんでな」 
 男は手を伸ばした。
「もっと伸ばせ、もっと頑張れ」
 男はぎりぎりまで手を伸ばした。そしてオバケの手がするすると井戸の縁まで伸びて男の手を引くと、男は井戸に頭から突っ込んだ。どこまで深いのか分からないくらい深くて暗くて、冷たい井戸にはまった男はそれっきり上がってこなかった。そしてオバケは次の獲物を待つのである。
「男は欲が深いから仕事がやりやすい」
 オバケは不敵に笑った。
「ああ面白くない」
 見るからに人間でない、井戸の外のオバケが井戸の中のオバケにケチをつけていた。
「古いことやってんなあ、今どき流行らないよ」
 井戸の中のオバケは、面白くない。
「そこにいるのは誰だ?」
 井戸の外のオバケは言った。
「お前と同業者だよ。こんな古臭いオバケを同業者とは言いたくないがね」
「なんの用だ?」
「用というほどのものはないが、とにかく古いやつは嫌いだ」
「どこが古いっていうんだ。人をだまして古井戸に引きずり込む。昔からこのやり方だ。他にはない」
 井戸の上のオバケは笑った。
「だから進歩がないというんだよ。子供と女は見逃して男を引きずりこむ。男が一番バカだといいたいんだろ? そうかもしれないががね。ただ女と子供は助けるが、男をバカにして楽しいという昔のやり方昔の価値観。昔話にしても流行らない。古臭くてどうしようもない。オバケだって進歩しなくていいわけじゃない。断固そうじゃない」
 小難しいことをいうオバケだ。井戸の中のオバケは井戸の外のオバケが言ってることの、半分もわからなかった。
「おい、ちょっと聞きたい」
 井戸の中のオバケが言った。
「お前さんのような新しいインテリオバケの言ってることは、よくわからん。もう一度口を近づけてゆっくり言ってくれよ」
 井戸の上のオバケが、井戸の中のオバケに近づいて大きな声を出すと、井戸の中のオバケは外のオバケをグイとつかんで引きずり落とした。井戸の外のオバケは深い深い底の見えない井戸の中に沈んだきり浮かんでこなかった。
「ざまあ見ろ。オバケは古いほうが知恵はなくとも力はあるんだ」
 再び女がやってきた。
「おい女、カネがほしくなったか。やるぞ、手を伸ばせ」
 女は泣いていた。しくしくと。
「女、どうした。何を泣いている。わけを言え」
 女は訴えるように言った。
「あたしがご主人様に、井戸のオバケが金貨を出して欲しいかと言い、欲しいというと手を引っ張って引きずり込むから怖いと言ったんです」
「その通りだ。それで?」
「ご主人様は、オバケが金貨なんか持ってるものか、せいぜい借金の証文がいいとこだというんです。水を汲みたくないからそう言ってるんだろうって」
 オバケは言った。
「借金の証文であるもんか。れっきとした金貨だ。ほら見ろ」
 女は言った。
「ほんとに本物の金貨なら、見せてください」
 女は、オバケに井戸の上まで来るよういった。井戸の中に手を伸ばすのは怖いからと。オバケは井戸の上まで来て手を伸ばすと、確かに金貨があった。
「ご主人に見せてきます」
 女はオバケの手の中にあった金貨をつかみ取って一目散に走り去った。鈍いことにオバケは、女は金貨を持って主人に見せに行くと、しばらくはそう思った。だが、日が傾いても女は戻ってこず、オバケはようやく盗られたことに気づいたのだった。
 子供がやってきた。オバケが井戸の上にいるのを見て驚いたが、仕事を済まさなくては怒られるのでさっさと井戸に桶を放り込んだ。
「おい子供」
 オバケは言ったが、子供は何も答えなかった。
「さっきはまんまと女にやられたが、もうそうはいかないからな。金貨は絶対やらないぞ。なにをどう言われても残りの金貨は絶対やらないからな」
 子供は、オバケの手の中を見ると金貨があるので、腰に結わいつけていたナタでオバケの頭をたたき割り、金貨をつかみ取って帰った。
(了)


 
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2019年11月25日

「蓮沼」作・田畑稔(no0162.2019.12.01)

 沼は蓮の葉に覆われていた。
 その葉の間を縫うように、小さなボートが見え隠れしていた。レンコンの生産者が漕ぐボートだった。男は日がな一日、レンコンを抜いて茎を切る長いハサミを沼に差し込んでいた。見物していた暇な男たちが話していた。
「冬にたいへんだ」
「レンコンだもの、どうしても冬の作業になっちゃうよな」
「食べるのは楽だけどね」
「からしレンコン。あれ好きだなあ」
 男たちは、沼から出て泥を払っている男を見た。見るからにイナカの農民だったが、少し前まで東京の先端企業の仕事をしていたという。
「あれだろ? IT企業の社長だったというやつは」
「社長でなく、投資家だって話だ」
「どう違うの?」
「収入が違うよ、違うんだろな。全然違うんだよ、そうだよ」
 世間の噂は本当だった。男は東京のIT企業の投資家だった。ITに関しては的確な投資をし投資家たちに着実に配当させていた。その男がなぜ急に蓮の群れ咲く沼でレンコンを掘らねばならなくなったのか。空気のきれいな緑の中で暮らしたいとか、本当は農業で暮らすことが合ってるとかいろいろ言っていたが、周囲の者には理解が難しかった。
「ここの蓮の葉って大きいだろ?」
「大きいね」
「お釈迦様が乗って座る蓮の葉って、こういうやつだって」
「そうなの」
「お釈迦様が見たいんだって」
「誰が?」
「あのIT投資家がだよ」
「お釈迦様に会うために、それで高給取れる仕事辞めてきたんだって」
 推察は正しかった。高給取れる仕事を投げ出してもレンコン掘りに転職したのは、本当にお釈迦様が降臨すると聞いたからである。実は男は仏教大学に進学し、そこで仏教思想を学んだ。理由は特にないだが、母親が法華経を信仰していたこととも関係あるのかもしれない。だがそれはたいした理由ではない。しかし男にとって、IT企業のほうがもっと遠いところの現実だった。IT企業の投資業務をすることのほうが男にとって特殊な偶然の結果だったのだ。
 男は時々、大きな蓮の葉に乗って休む。普通であれば釈迦は空から降りて来て蓮に座り、半眼で瞑想するのだろうと思う。だが蓮の葉に乗って半分目を閉じるとわかる。釈迦は蓮が群生する沼の中から起き上がって来る。たぶんそうだ。男はそう感じていたのだ。そう思って半眼で瞑想するのだが、まだ釈迦は一度も現れてくれない。
 男は、仏教大学で学んだ知識を生かして町の人に仏教思想を教えていた。それがなまじの坊主より分かりやすいということで評判になっていた。
「知らなかった。お札の単位、万、億、兆…そらからなんだっけ?」
「京、ガイとかなんとか…」
「それって仏教用語なんですってね」
「それからあれ、お釈迦様が死んで、乱れた世の中を救うために弥勒菩薩様が現れるのが56億7000万年後だって。遅すぎる、もっと早く来いだって」
「その通りだわ」
 男がレンコン掘りをしていた時だった。後ろの蓮の葉がざわついた。風なのかと思ったが風はなかった。後ろは何もなかった。男は掘ったレンコンの一部を無料で使ってくれと町の食堂に卸した。予想外に収穫があり、新鮮なうちにということだった。食堂はレンコンでいくつかの料理を作り子供や老人に配った。
 またレンコンを掘っていた沼で音がした。沼に入った誰かが蓮の葉をかき分けたのかと思ったが、音はしたがそこには誰もいなかった。男は少しそんな気がしたので声をかけてみた。
「お釈迦さまですか? そこにいらっしゃったのはお釈迦さまですか?」
 何も返事はなかった。男は家庭の事情で勉学が遅れがちな児童に、無料で塾を開いた。子供たちも、男の教える仏教思想が面白いのだった。
「先生が言うには、お釈迦さまってずっと菩提樹の下で風呂も入らず座禅してたから、たぶん臭かったって」
「先生が言うには、お釈迦様がインドにいたころは字が読める人のほうが少なかったから、ボクたちの勉強のほうが進んでたって」
「先生が言うには、お釈迦様がインドにいたころは普通に道端で人が死んでてハエがたかって、今のほうがずっと衛生状態がよかったって」
 男が蓮の沼でレンコンを掘っていたときだった。エヘンと誰かが咳払いをしたような音がした。注意を促すような、そんな咳払いだった。そういえば塾で子供たちに座禅をしていた釈迦は臭いとか、昔のインドの人は字が読めなかったとか、昔のインドは死体がゴロゴロしてたとか言ったのが気に障ったかなと男は思った。
「お釈迦様。悪口言ってごめんなさい」
 男はそう言ったが、何も返事はなかった。男から仏教思想を習っている女性たちがやってきた。
「先生!」
 男は蓮の沼からはい上がった。
「町長さんがお話があるんですって」
「なんのお話ですか?」
「町長もお札の数え方教えてもらいたいみたい」
 女性たちが笑った。まさか町長がと思った。行ってみると、町民や子供たちに無料で勉強を教えてくれていることや、食事のサポートをしてくれていることで表彰をしたいとのことだった。
「町の人は、慈悲深いお釈迦様のようだと言ってます」
 男はまた蓮の沼に入ると意外なことが起こっていた。蓮の花が咲いているのだ。季節は冬。通常なら蓮の花も、真ん中にあった蓮の実も落ちてしまった季節であり、花が咲くということはありえなかった。
 季節外れの蓮の花が咲いたことはすぐに広まった。町の外からも大勢押し掛けたのである。
「先生ですか? 蓮を咲かせたのは」
「お釈迦様が咲かせてくれたんでしょうか。先生の行いが立派だから」
 褒められるのはうれしいが、見物客が多すぎてレンコンの収穫ができなくなってしまった。
「慌てなくていいですよ。花が落ちたらまた掘りましょう」
 早朝なら収穫できるかなと、男が沼に立った。その時誰かが沼から上がったのだ。しかしそういう音はするが姿は見えなかった。蓮を押しのけて沼を歩く音、そして蓮の葉に乗った。音はしないがそういう動作はわかった。蓮の葉が誰かが座っているようにへこんだからだ。そして止まった。瞑想しているのだろう。男にはそんなふうに感じた。
「お釈迦様ですね。お会いできてうれしいです」
 男は言ったが返事はなく、ただ青空の元、静かな瞑想があった。
(了)

 
  
posted by 田畑稔 at 11:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする