2020年07月11日

「気象予報士」作・田畑稔(no.0386.2020.07.12)

 この間の雨はすごかった。まず雨音がすごかった。屋根が破れるんじゃないかと恐れた。案の定、雨漏りが始まった。だからもう家の中に洗面器やバケツ置いたね。それがすぐにいっぱいになる。こんなボロ家建て直すか、いっそのこと捨ててしまおうかと思ってたら、サイレンが聞こえてきた。このサイレンは、町に緊急事態が発生したお知らせだ。火事でも地震でも鳴るが、きょうこの場合は雨だ。雨がやたらと降ってきたのだ。玄関のドアを開けて見てみようと階段を下りていくともう玄関は水に浸かり、靴が水に浮いていた。ちょっとお父さん、買ったばかりのジョギングシューズ水に浮いてるけど、こんなになった靴ってまだ履けるの? と大きな声で呼んだら、お父さんは既に外に出てボートを曳いてきた。

 お父さんたら、玄関を開けるとボートを後ろ手に曳いて帰ってきた。母さん、寝てたのか? 大雨で水がついていることに気付かなかったか。まったく母さんのんびりといったら筋金入りだと、そんな歌が昔あったなと、まだ冗談言う余裕があったがあっという間だった。水は一階の天井まで達した。お父さん、ボートを二階にまで上げなくたっていいのにと母さんはまだ不思議な余裕がある。家の玄関にまで入れたボートがいつの間にか2階にまで上がっていたのを見て、2階からいきなりボートに乗れるのねも楽しいわと、お母さんはまだ状況が飲み込めてないのか理解ができてない。

 おかしいなあ、こんなに降るって天気予報で言ってたっけと、もはや2階からハンカチ振るくらいしか危機を訴える方法がなくて外をのぞいたら、隣の家でも家人が全員2階に上がってハンカチ振っていた。これって非情事態? と母さんはようやく事態に気付いた時は既に2階の畳にも水は上がり込んできていた。お父さんはお母さんと子供たちに浮き輪を渡した。だがお父さんの分の浮き輪がなかったから、お父さん気を付けてねと長女が泣きながらお父さんを心配した一方、お父さんは昔から泳げるのよ心配ないわとお母さんは不敵な笑みを浮かべた。
 
 この頃雨も多く落雷や突風が吹き荒れる。雨量の単位がひとケタ違う。異常気象なんて簡単な言葉で片付けられない。いったい神はどうしちゃったんだろう。神は人に異常気象を見せつけ、人心は乱れていると神がお怒りになる。だがそこは神、生物を全滅させない。動物それぞれ一つがいづつ残された。神は船の建設を命ずる。そして船はアララト山にたどり着くという伝説。船が進み着いたところがアララト山。ということはアララト山まで海面が上昇していたということ。これは恐ろしい。アララト山は標高何千メートルもある。そのアララト山の中腹まで船が進んだということだ。神が怒るとすさまじい雨量になる。半端じゃなかった。

 それにしても天気予報って当たらないわよね。当たってる? あれでも当たってるって言うの? だって人が死んでるじゃない。一回ドサっと雨が降ると川があふれる。何十人も死んじゃう。それで予報が当たってると言えるのと、お母さんはテレビの気象予報士を罵った。だってつまるところ、人が死なないための予報なんじゃない? ひどい言い方だって? ひどくないわよ、何十人も死んでるんだからさ。大雨に流されたり、溺れたりする人こそひどいわよ。気象予報士って明日は晴れとか雨って言ってればそれでいいの? そんなことないよね。言っちゃ悪いけど、気象予報士って、結局予報できないのよね。

「いまここで気象予報士非難したってしょうがないじゃないか。予報できなくても外れても、とりあえず梅雨前線で人は死んでないんだし」
 娘が言った。
「そうよ、お母さん。人は誰も死んでないのよ」
 一時期は雨が降るたびに死者が出ていたが、このごろ死人は出なくなった。そのことは良いことだ。
「でも、助けに来てくれないわよね」

 お父さんもお母さん娘も既に合羽を着ている。合羽を着て傘も差している。だからボートの上に合羽を着て傘を差している者が3人いる。既に家々は沈み、大海ができていた。3人の乗ったボートは大海を漂っている。
「雨の量がほんと半端じゃないわよね」
「こんなに降るって、気象予報士言ってた?」
「だから気象予報士って、基本的にあてにならない人たちなのよ」

 塔が見えてきた。金属の塔で下部が膨らんでいる。円形の窓が一周している。
「あれって、スカイツリーの上の部分じゃないの?」
「てことは、スカイツリーの展望台まで水が上がっているということか?」
 お父さんお母さんのボートと似たような境遇にあるボートがいくつも見られた。
「お父さん、ボートがみんな同じ方向を向いて、同じ方向に流れて行っている気がする」
「そんな感じだな」
 ボートが流れていく先に山があった。ボートから降りて既に歩いていた人々もいた。
「お父さん、どこに向かってるの?」
「わからん。みんなが歩いてるからついていってるだけだ」
 お母さんは言った。
「この方向で合ってるわ。そんな気が強くしてくるの」

 山の頂上には大勢の人が集まっていた。ここはどこだとか、われわれはなぜこんなところにいるのかなど現状を疑う言葉は出なかった。そのかわりに人々は笑顔だった。やっとこの場所にたどり着いた幸福と喜びにあふれていた。
「お前の予報はさっぱりあたらないじゃないかと言われ続け、自分でも苛立っていたんですが、もうそんな心配がなくなりました」
 そう言った中年の男は著名な気象予報士だった。
「あなたは、そろそろ天気予報番組に出演する時間じゃありませんか? こんなところにいていいんですか?」
 お父さんが聞くと、著名な気象予報士は笑顔で答えた。
「だいじょうぶです。もうその必要がないんですよ、天気予報をする必要がね」
「ということは、あなたは気象予報士の仕事をしなくていいということなんですか? それとも気象予報士でなくなったということなんですか?」
 著名な気象予報士はその両方だと答えた。
「気象予報士なんて仕事は辛いだけですよ。天気は当てて当たり前、間違って外しちゃった日にはテレビ局にガンガン抗議の電話が来る。あいつを出せ。あいつが晴れるって言ったからいっぱい仕入れたのに雨が降った、売れ残りを買い取れって言ってくる。一雨で何十人も死んだりすると、ああ自分の仕事って何も役に立ってないじゃないかと自己嫌悪に陥ってしまいます」

「お父さん、あれ!」
 娘が上を指した。大きなUFOだった。それはそれは巨大なUFOがゆっくり下りてきた。山に登っていた人々から期せずして拍手や指笛が鳴り響いた。
「これに乗るんですか?」
 お父さんが聞くと気象予報士はそうだと答えた。われわれは選ばれたんです。ものすごい幸運に巡り合ったんですと嬉しそうに話した。
「後ろから続々と人が登ってきますが」
「世界の人口と比べたらモノの数じゃありません。選ばれたんですよ、まずそれを讃え、喜び合いましょう」

 お父さんの表情が急に変わった。
「いや、これはダメだ。行っちゃダメだ。オレは行かないぞ。母さんたちも山を下りるぞ、さあ」
 お父さんが手を差し出したが、お母さんと娘は応じなかった。
「嫌よ、あたしは行くわ」
「何言ってんだ。UFOじゃないか、宇宙人の乗り物じゃないか。宇宙人に食われちまうぞ」
 だがお母さんと娘はガンとして応じなかった。お父さんが行かなくてもあたしたちは行くわといって二人は群衆の中に消えた。UFOはドアを開け、そこに小柄だが黒くて大きくなサングラスのような吊り上がった目をした宇宙人が、人々の乗船を助けていた。そして人々が乗り終えると巨大なUFOは静かに飛び立った。

 水が引くまでさほどの時を要しなかった。町は平常に戻った。こんなに早く日常が戻るなら母さんたち、焦って行くことはなかったのにとお父さんは嘆いたがお母さんと娘は帰らなかった。
「こちらですね、ご家族がUFOに乗って行ったお宅は」
 男は役所の委託を受けてやってきたと言った。
「奥さんとお嬢さんで間違いないですね?」
 何の調査ですかとお父さんは聞いた。
「国勢調査です。このたび巨大なUFOが現れて、けっこうな数の人々が乗って行ってしまったんです。その調査です」
「妻と娘はどこへ行ってしまったんでしょうか。どこかで幸せに暮らしているんでしょうか」
 今回UFOに乗って行ってしまった人がどこで何をしているかはわからない。ただ、あれだけの人に生活してもらうには食糧が必要なはずだが、それを地球から運び込んでいるということは聞かない。だから生存は不安視されている。UFOに乗って行った人は法律上失踪者ということだったが、先日UFOが下りた山で大量の白骨が見つかった。DNA鑑定の結果、白骨は失踪者だったことが判明した。UFOに乗り込むとすぐに死亡して食われてしまったということが判明した。だから以後UFOによる失踪者は死亡者として数えるので、早めに死亡届提出してくれ。人口統計に反映させなければならないからと国勢調査員は言って帰った。
(了)











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2020年07月10日

「最終日」作・田畑稔(no.0385.2020.07.11)

 最終日だそうだ。とはいっても最終日、何の最終日なんだろう。最終日というくらいだから何かを今までやってきたんだろうが、何をやってきたんだろう。そして何が終わるのだろか。演劇だろうか音楽だろうか、何かのイベントだろうか。それとも選挙だろうか。聞いてないなあ。何かやってたっけ。個人的にはジャズライヴなんか好きだよ。ジャズはやっぱ大人の趣味だよね。聴くというより静かに耳を傾ける。ジャズと同時に自分の心の声に耳を傾けると、ちょっと格好よく言ってみたくなる。

 とにかくうるさいのがダメ。ロックとかポップスはうるさくなければいいが、たいていはうるさくてやかましい。ブルースもちょっと粘っこくてね、もう一つ好きになれない。だからやっぱりジャズ。さらりとしてるジャズのピアノ。ソロピアノでいいがギターなんかがあってもいい。ピアノとギターのデュオというと有名なピアニストとギタリストのアルバムが思い出されるが、まさか彼らが来たりすることはない。だってもうこの世の人ではないからね。

 演劇の公演があったかというと、聞いてないなあ。新劇、歌舞伎、ミュージカル、アングラ、どれもこの辺では聞いてない。不条理劇なんかあれば行くよ。演劇として現実から最も離れた世界。現実から最も離れた世界こそ演劇に相応しい。能もいいね、あの時間感覚がいい。なんでもが遅く、ゆっくりしていた時代の産物だからね。だから能で最も見るべきは能というものの持つ時間だ。能役者は一つ一つの演技がゆっくりだよね。たとえば一歩進んで一回りしたとする。ところがそれで一年たっていたりする。それで一年なんだよ。つまり時間の進み方が早い。むしろ一番早いかもね。一歩進んで一回りして一年だから難しくいうと抽象度が高い。漢字一文字で一年を表すというイベントがあるけど、それと同じ。レベル高いよ。

 先生、最終日ってなんの最終日なんですかと聞くと、先生もそんなもの知らんと言う。どこで聞いてきたんだと逆に返された。最終日と簡単にいうけどな、レベルというものがある。三日間の夏祭りの最終日、一か月の夏休みの最終日、会社を解雇され出勤の最終日。人生の最終日、つまり死ぬってこと。死んじゃったらその後は考える必要はないが、それでも残された家族はどうなっちゃうんだろうとか考えることは考える。最終日といっても、軽くて忘れてもいいくらいのもの。押しつぶされそうな重いもの。どの最終日を言っているのか知らないが、いずれにしても、よくよく考えて決断すべきなんだ。それを軽んじる者があるというから困る。お前はどっちなんだ。そもそも決断というものは誰にとっても難しいもの。考えて考え抜いて結論を出せ。

 母親が言った。何の最終日かわかったの? あんた。オレはすぐに返した。母さん、息子を舐めちゃいけないよ。最終日に関してはあらかた手中に収めたといったら大げさかもしれないが、もうお終いはすぐそこの段。母さん、ずいぶん息子を貶めたな、ついに最終日が見えたんだと威張ったら怒られた。母親は、威張ったところでたいしたことはない。男だったらちゃんと商品を根踏みしなきゃと上から目線。それで最終日はなんなの、決まったのかいと聞かれた。決まってはいない、決まる決まらないの問題ではないと反論した。でもこのまま何の最終日かわからないままではしょうがないだろうと思うのだが、決めあぐねているのだからしょうがない。

「最終日については主体性を持って行かねばならないとうこと」
「じゃあ、最終日は何か、自分で決めろというのね?」
「自分で決めろというのでなく、主体性を持ってということだ」
「よくわかんないわね」

 いったい何の最終日なのか、その片鱗くらい見せてくれてもいいようなものだがそこには至っていない。
「終わりたいものなのか、それとも終わりたくはないが終わってしまうものなのか、そこがはっきりしない」
「だから主体的に決めていいんでしょ?」
「主体的にではなく、主体性を持ってだね」

 それでは、終わってほしいものをリストアップしようということになった。それなら誰だって戦争とか犯罪、いじめとか暴力とか、議員の汚職とか腐敗とかはなくなってほしい。それが最終日なら歓迎だ。そういうことなのだろうか。いや待てよ、相手は天邪鬼だとすれば、人間がやめてほしい、終わりにしてほしいものをあえて言わせて、意地悪するためにそちらを持ってくるとか。あり得るな。また例えば、実は人の見えないところでドラマをやっていたが、それがついに最終日になった。これまで誰が見ていたかは問題じゃない、とにかく延々ドラマをやっていた。そしてそれが最終回になったと。こういうことだ。それはどんなドラマなんだろう、しかも主体性を持っていなければならない。
 
「主体性を持ってやっているドラマが最終日? そんな大それたものかなあ。どこかのスーパーの特売最終日じゃないのかって気がする。スーパーは主体的にやってるだろ?」
「それじゃ、夢がないわね」
「現実なんてそんなものだろ。夢なんかないよ、世の中常に淡々と進行する」

 男はヒザを打った。最終日に終わるのもは最終日そのものという考え方はどうかな。どうだ、意外だろ? 虚を突かれただろ? われなが上手い着地をしたものだと男が自慢した。
「相当得点は高いぞ、これは」
 女が言った。
「最終日に終わるものは最終日であるとすると、今後は最終日はないということなの? 最終日がなくて何か不都合はないの? だって最終日がなくなると全ては継続されちゃうんじゃない? 人々はそんな酷い仕打ちに耐えられるのかしら」
 それもそうだと、男は考え込んでしまった。
「そもそも最終日を宣言した者は誰なんだ。それを見つけ出せば解決は早いんじゃないか?」
「それはそうね、多数決で決めればいいかもしれないわ」
 それも一理あると声がかかった。悩みがあるとすれば多数決で決めようと。多数決こそ世の中を前進させる最良の方法だと積極的な意見で占められた。しかしよく考えると異論が出た。最終日に終えるものが何なのか、そもそも最終日を続けるのか、廃止してしまうのかのどちらを多数決で決めるのかと誰かが言い始めると、みな考え込み、黙ってしまった。

 壁に貼られた「最終日」と大書された紙がはがされた。
「最終日に何が終わったんですか? それとも最終日そのものが終わったんですか?」
 熱烈な質問に答えて、「最終日」との大書の紙をはがした老人が言った。
「だからそういうくだらない質問に答えること、どうでもいい質問に答えなきゃいけないことがきょう最終日だったってこと。わかった? きょうまでよ、そういうくだらない質問は」
 老人は「最終日」と大書された紙を破って捨てて去った。
(了)




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2020年07月09日

「美人」作・田畑稔(no.0384.2020.07.10)

 美人と文明の相関関係などと大層なもの言い。そんなに大上段に振りかざさなくたって美人は美人でいいじゃないの。古今東西を問わず美人は注目を浴びるし浴び続けてきた。誰だって興味あるし、いいじゃないの。美人は好きだよ。嫌いな人はいないんじゃないかな? 自分の彼女かどうかは無関係。美人を見ると嬉しい、幸せになるね。オレにとってはまあ熱帯魚を見るような感じかな。美しい熱帯魚、あるいは玩具。人間を熱帯魚や玩具扱いするのは申し訳ないが、でもそういう風に見る人って多いんじゃないかな。とっても整ってて美しい女性なんか、この世の人には見えないからね。

 日本人は美人というより可愛い人が多いね。年齢が若くみえるというのはあるよね。とってもきれいで整った顔立ちをしていてもどこか子供っぽい。少々子供。でもこれは昨日今日に始まったことじゃない。江戸時代、欧米人にさらわれる日本人がたまにいて、男女双方にいたんだけど、そういうふうにさらわれる日本人はみんな可愛い子だったそうだ。恐ろしい話だが、実際あったんだ。だからといってさらわれない自分の子は可愛くなかったのかというと、そんなことはない、自分を卑下しちゃいけない。

 美人薄命というが、美人だから早くに死んでしまうのかというとそんなことはない。人の寿命というのは美人か美人でないかは無関係。なんだろうなあ、でも決まってる。結局、その人の価値観なんだろうか。生きようとする価値、もっというと粘りかな。粘りを持っているかどうか。生きるのに粘っこい人ってのがいる。美人か否かは無関係。意志の力、精神力。祖父が言ってたよ、あいつは命根性が汚いから長生きする。根性はわかるが、命根性とは何で、それが汚いとはどういうものなんだろうか。古い世代の感覚というものはどうもわからん。

 だいたい、子供というものは親に似るもの。父似とか母似とかいってもよく調べてみるとやっぱりちょうど半々の遺伝子をもらって生まれてくる。印象的に似ているところがどこかというだけだ、父似、母似というのは。とにかく遺伝子というのは絶対で、いくら食べ物変えて環境変えても犬は犬、猫になったりしない。遺伝子とはかくも強い。だからどこの国だって子は親に似るのは大原則で全く不変の法則。

 最近美人が増えてきていると言われる。それはなぜだと聞くと、文明の発展の度合いと関係があるらしい。今まで聞いていなかった国から次々コンテストに美人が送り込まれる。聞くとその国は例外なく発展をしている。経済的に豊かになるとファッションやメーキャップにもカネが掛けられてきれいになるというのはわかるが、どうもそれだけではない。

 美人を作ろうという試みはどの国でも昔からあるもので、メーキャップ、ファッション、そして美容整形と美の追求には暇がない。女の美とは内面の美しさや思い、動作からも生み出されると昔から言われてきた。だから内面も磨きなさいというわけだ。そしてその波はAIにも及んできた。AIは人造なのだからいくらでも製造、作り替えが可能だろう。好きな美人をつくればいいじゃないかと思うのだが最近わかった。人工知能のAIでも、教養だったり内面の思いが表面の美に影響するのだと。

「これが、内面まで磨き上げたAI美人だと言うのかい。確かに美人かもしれないが、内面からにじみ出てくる美というのがわからんね」
「比べてみればわかる。明らかに違うよ」
「そうかなあ。美人だよ。でもAIだもの、ロボットじゃないの、作り物だろ」
「ロボットだとか作り物だとか、見下げないでくれよ。だから、AIだ」

 確かにこのごろのAIは美しくなってきた。評判だった。なぜ美しくなったんだろう。だってAIだぜ、ロボットだろ、ようするに顔を取り換えたんだ。顔を取り換える? それじゃまるでアンパンマンじゃないかと冗談が出るくらいAI美人がさらに美しくなった。AI美人がマスコミを賑わした。AIだから人間と同じように会話できる。軽妙洒脱な会話は人間より得意だ。そのうえ完璧なほどの美人と来ている。人気が出るのは当然だった。テレビや雑誌や映画や舞台などにも進出した。AIなので品質は安定している、つまり要求されたことは常に完璧にできる。疲労もないので何時間でも何日でも連続して仕事ができる。人間のようにギャラを要求したりということもない。すぐにマスコミを席巻した。

「もうAIでない、人間の俳優、タレントはテレビに出てないんじゃない?」
「そう、ありとあらゆる場面でAIが登場している。そしてそもそも誰がAIで誰が人間なのかがわからない。美人だとAIなのかなと思っちゃう。人間には悪いけど。でもそうとばかりはいえないんだろ?」
「AIだっていろんなパターンがあるんだ」

 おかしな噂が流れた。
「美人タレントって、みんなAIなんですってね」
「そうよ。美人タレントもAI、つまり作り物。作り物ならいくらでも美人がつくれるわよ。作り物に熱を上げる男たちってどうなのよ、いったい」
「あたしたち女から見てもきれいよね。しかも寝ないで働けるんですってね。うらやましいわ」
「給料もらってないんでしょ。だからテレビ局は使うのよ。結局カネよ。ギャラもらわないんだから、タレント俳優のギャラ押し下げてるわよ。賃下げしてるのよ」
 ところがAI美人やテレビに批判的な意見を吐いた女性がAIだった。

「AI美人は最近ますます美人になってきたよね」
「しかし、だんだん同じ顔になってきた。結局、選ぶ男の趣味、しかも助平オヤジの趣味に統一されてきてる。趣味の悪いオヤジ好み」
「人間のほうが、AI美人に近づけて似せた顔のタレントが出てきてるらしいですよ」
「人間を真似たAI美人が現れるのはわかるが、人間のほうがAI美人を真似てどうするんだっていうの。人間としてのプライドないのかよ」
 AI美人を見下して貶めた男が実はAIだった。

「AIはいろいろな分野に広がってるようようだね。美人だけじゃない。女性お笑いタレントとかにも」
「普通のサラリーマン男子とかもそうだってさ。なんの意味があるんだろうね」
「大学教授とか経済評論家などインテリもそうらしいですよ」
「人間のやることなくなっちゃうよ」
 そういって嘆いたサラリーマンもAIだった。

「もう人間とAIを見分けるには、カミソリで手首切って血を流して見せるとかしかないよね」
「いやそれがさ、ここで血管切って血を流して見せるといった男の血管は実は人造血管で、血も模造品で騙されちゃったらしい」
「騙されたと言ったあなたが実はAIだったりして」
「そりゃないよ。ほら見て。静脈、青いでしょ。カミソリで切るのは怖くてできないけど、私は本物の血が流れる本物だから」
 そういって、自分の血管までみせてAIを否定した男がAIだった。

 AIは美女以外の美女でない女、普通のサラリーマン、単なる喫茶店のマスターだったり、宝塚スターだったり袈裟着た坊主などが既にAIだったりする。だから、それらは実に上手くバランスが取れて配置されているので、きっとAIがコントロールしているに違いないと言われた。
「という噂を流しているのがAIだとか」
「というあんたもAIだったり」
「もうわかんないよ。全てを疑いたくなっちゃう」
「すべてを疑っちゃうと言うあんたもAIだったり」

 とにかく、AI美人から始まるAIシステムの元締めは相当に大きなコンピューターシステムだ。ラップトップ・パソコン1、2台でできるものではない。
 噂では、AIシステムを稼働させているのはもっと上位のAIであるという。つまりAI美人を作ったのはAIだというのだ。じゃあそのAIを作ったAIを作ったAIはあるのかというキリのない話になりそうである。だがAI美人を作ったAIはもはや実体がないとすら言われていた。
「コンピューターってのは、もともと実体がないんだよね。データでしょ。データは情報だ、実体ではない。早い話、AI美人は実は実体がない。だってAI美人内部から美しさがにじみ出る。にじみ出るものってそれは物体じゃない、モノじゃない」
「実体がないというのはわかるが、だとしたら、AI美人の審美眼はどこにあるんだろう、誰なんだろう。そもそもAIのコントローラーはどこにあるんだろう」

「また新しいAI美人が送り出されてきた。これが新しい美人のタイプということなんだろうね」
「新しい美人はこのタイプって、どこかで決められていつの間にか送り出されてくるのはどうかと思うけどね」
「でも実際美人だ。少しタイプが変わって、いつも新鮮でいいよね」
「でもそれ決めてるのはAIだぜ、いいのかよ。美人のタイプもAIに指定されて、それを無批判に受け取るっていいの?」

 失敗するAIの存在がいることは既に確認されている。AIが生み出すのは美人や頭のいいAIばかりではない。単純な計算ができなかったり、人間としても平均以下の運動能力だったり平均以下の会話力、平均以下の分析力という普通の人間なみのAIの存在も確認されている。
「どうしてこういう普通の人間並みかそれ以下のAIも生みだされてくるのかね」
「普通の人間社会を作ろうということなんじゃないかな」
「だったらAIでなく普通の人間でいいじゃないか。普通の人間なら、人間をいくらでも作れるじゃないか」
「巨大なAIシステムが未来的で進んだAI社会を作ると思ったら、普通の人間の普通の社会を作るというのはなぜなんだろうね」

 普通の大人に普通の子供、普通の若者による普通の恋愛、普通の軋轢、暴力。普通の老人の死。それがAIによって現わされる。それはAIにより普通の人間社会が表現されるということ。せいぜい若者が若者のまま死んでしまわないこと、不慮の事故や事件で死んでしまわないことが人間社会と違うこと。AIなのだから。

 既に社会の中でAIの比率は高まっていた。だがすぐにAIなのか人間なのかを判別することは難しい。たまたま事故に遭って体を大きく損傷するとAIであることがわかったりすることくらいだった。だから人間とAIは共存していけると人間の側の理解が深まった時だった。某国から始まった政変が戦争に移り、全面戦争に発展した。そして核兵器のスイッチが押され世界中で核兵器が破裂し、放射能は人々の生存を許さなかった。だがAIは死ななかった。もともと人間ではないので当然である。AIは新たな社会建設に邁進した。二度と戦争のない普通の社会を目指した。
(了)







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