2020年01月20日

「流し」作・田畑稔(no.0220.2020.01.28)

 スズキは真っすぐ帰宅することができない。どうしても夜の町に飛び込んでしまう。道の両端に料亭や居酒屋が並ぶ、安っぽいバーやスナックも並んでいる。その窓や看板の明かり、外まで響く嬌声やカラオケの唸る声にどうしても引き寄せられてしまう。
 スズキが入った居酒屋は賑わっていた。空いている椅子はカウンターに一つしかなかった。なじみの店である、いちいち注文しなくともよい。ビールが一本、小皿のおかずが出てきた。スズキは騒音のような店でビールと小皿をチビチビやるのが好きだ。仕事の疲れから解放される。何よりであり、本当に幸せだ。
 居酒屋の戸が開き男が二人が入ってきた。一人は中年、もう一人は若かった。そして中年の男はギターを肩から下げていた。客でなかった。店はあらかじめ知っているようで、男たちに席を案内しなかった。男たちは客に近づき頭を下げ、拒絶されると次に移った。 
「流しの人?」 
 スズキは傍に来た二人の男に言った。
「はい、御所望の歌があればお願いいたします」
「じゃあ、GSやってくれる?」
 年齢的にそういう歌をリクエストしてしまう。流しはギターを鳴らし、昔のヒット曲をやってくれた。スズキはさらにリクエストした。流しは快く応じてくれた。
「いいねえ、ありがとう」
 スズキはおカネを払おうとしたが、男は代金は飲み代といっしょに店に払ってくれと言った。店が流しから手数料を引くためだ。
「流しって、復活してるんだね」
 流しの男が言った。
「われわれはずっとやってましたけど」
 スズキは上機嫌でいった。
「カラオケもいいけど、流しもいいよね」
「ええ、使ってくれる方は増えています」
 スズキが居酒屋を出て夜の町を歩いた。ハシゴしてしまった。けっこう飲んだ。体には良くないかもしれないが、いつものこと。やめられない。これでいいんだと、スズキは上機嫌で家路についた。
 繁華街の外れの小路に、さっき会った流しの男たちがいた。ああ、さっきの流しだとスズキはやり過ごそうとしたが、なんだか男たちは揉めている。流しの年長の男が若い男を叱責していた。それくらいはどこにもありそうなことに見えたのだが、流しの男は少々度が過ぎると思った。年長の男は若い男を殴った。若い男は吹っ飛んでしまった。それだけではない、年長の男は若い男を蹴る、踏みつける、また若い男を起こして思い切り殴るを繰り返した。若い男は鼻や口から血を出していた。
「そこまでやるの。それは叱責じゃない、暴力だ」
 スズキは止めに入ろうかと思ったが、若い男はそれでも体を起こし、年長の男に付いて帰っていった。
 翌日もスズキは居酒屋にいた。店は満員だった。客の嬌声と笑い声があふれ返っていた。スズキは相変わらずビールと小鉢でチビチビやっていたところに、玄関から入ってきたのは流しの男たち。スズキは昨日のことを思い出したからギョっとなってしまった。流しの男はスズキの顔を覚えていてスズキに会釈した。だがスズキは昨日の流しを見ているから、彼らのあまりの暴力さ加減にリクエストする気が引けたのだ。スズキは流しと目を合わさず彼らをやり過ごした。流しの男たちは少しのお客を相手にするといなくなった。
 スズキがほろ酔い加減で店を出た。すると流しの男たちがいた。スズキが出て来るのを待っていたようで、スズキに寄ってきた。
「お客さん」
 スズキは流しの男たちに会いたくなかった。恐ろしく不機嫌な顔をしていた。
「お客さん、昨日は大変失礼いたしました。こいつを絞めてたのを目撃されちゃったんですね。そのことで一つお話しておきたいことがあるんです」
「なんですか話って」
 流しの男は言った。
「普通の人から見ると、大層な絞め方に見えたかもしれません、酷い暴力に見えたかもしれません。でもあれは、われわれの世界では普通のこと。ほら見てください、なんでもないんです」
 流しの男は若い男を引っ張りだした。若い男は前に出ると笑顔をスズキに向けた。大けがしているかと思ったら、まるで無事だった。
「ケガしてないんですか?」
「なんでもありません。お騒がせして申し訳ありません」
 流しの男二人はスズキに深々と頭を下げた。 
「無事ならいいんだけどさ、いつも若い者をあんなふうにせっかんしてるの?」
 年長の男は頭を掻いた。
「まあ、いつもやってるんですけど、こいつらは大丈夫なんですよ。私もですけど。われわれは殴る蹴るに強いんです。なにしろ人じゃないもんで」
「人じゃない?」
「はい、私たちは人ではありません」
 スズキは聞いた。
「人じゃない?」
「はい、私たちは人じゃないんです。ですから死にません」
「人じゃなければ、なんなんですか?」
 流しの男は答えた。
「見た通りです。流しです」
「流しって、人じゃないんですか?」
「人じゃありません。流しという存在です。歌を歌うことが仕事です。それ以外のことはできない存在です」
 歌を歌うこと以外できない存在? それはなんなのか、意味がわからなかった。
「流しは死なないで、永久に生きているということですか?」
「わたしたち流しは、歌を歌うことだけが生きることです。歌を歌えなくなったら存在できなくなります」
 流しの男は言った。歌うことも運動の一つだから、鍛えるためにも歌を歌い続けていなければならないと言った。だから歌が好きな人、のべつ歌を歌っている人がいたら、流しという存在である可能性が高いと笑いながら言った。
「きょう、流しの元締めがやってきます。市場視察です」
「流しの元締めってなんですか?」
「われわれ流しの監督です。定期的に回って足りないところ、未熟なところを指導してくれるんです」
 スズキは居酒屋の暖簾を描き分けた。いつになく居酒屋は空いていた。早かったかもしれない。客は誰もいなかった。きょうは休みかとも思ったが暖簾は下がっていたから店の奥に進んだ。物音がし、人が動いたような気配があった。カウンターをのぞくと男が二人いた。一人が一人を仰向けにして激しく殴りつけていた。殴られた男は鼻血を出しうめいていたのだ。殴っていた男がスズキに気づいて、起き上がった。
「あ、いらっしゃいませ。気が付きませんで」
 殴った男は立ち上がって、少しバツが悪い表情をした。
「見られちゃいけないところ、見られちゃいました。申し訳ありません」
 見慣れた居酒屋の店主だった。殴られた男もよく見る若い従業員だった。
「どうしてそんなことを…」
 居酒屋の店主は言った。
「普通の人が見ると酷い姿に見えるかもしれませんが、われわれの間では普通、よくあることなんです」
 殴られた若い男は立ち上がって、口元に血糊を残したまま愛想笑いをした。
「あまり言うなって言われてるんですけど、われわれは人ではありません。居酒屋です」
 スズキは言った。
「まさかあんたも居酒屋という存在?」
「ええそうです。居酒屋をやるために存在しています。他に何もできません。居酒屋ができなくなったら存在できなくなります」
「同じこと、流しの人も言ってた。人でない存在って。他にもいるの?」
 居酒屋の男は言った。
「まあ、いろいろいますね。居酒屋やバーやスナックなんかには多いですよ。昨日も向かいのスナックで女性店主がアルバイトの女の子を激しく殴ってました。でも問題ありません。傷もすぐ治るし、絶対死にませんから」
 居酒屋の戸が開き、顔の色艶が良い老人が入ってきた。
「流しの元締めがいらっしゃいました。市場視察です」
 老人はスズキに軽く会釈をした。流しの歌を聞いていただいていますか、ありがとうございます。そんな意味のことを言って消えた。
「あの方、見たことあるような気がするんですけど」
「ええ、見たことあると思いますよ。国民的歌手と呼ばれてます」
 そうか、あの国民的歌手も人でなく歌う存在だったのかとスズキは思った。なんだそうだったのか、人でなく一つの職業に特化した存在というものは意外とあちこちにあるものなんだなと知った。
 考えてみると、自分だって何かに特化した存在かもしれい。ずっとサラリーマンをやってきた。もしかしたらサラリーマンしかできないからサラリーマンをやってきたのかもしれない。自分もサラリーマンという存在だと言われても否定できない。ただ、殴られても死なないかどうかはわからない、あまり殴られたことがないからだ。でもやっぱり殴られると痛いだろうなと、スズキは思った。
(了)



posted by 田畑稔 at 22:16| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください