2020年01月17日

「贋作」作・田畑稔(no.0217.2020.01.25)

 もしかしたら受験と直結しないという親の考えもあるかもしれない。いまどきの子供の習い事としての書道は確かに少なくなった。書道は上手であるとてしも、場合によっては手も顔も真っ黒になるもの。だから小学生のケンが筆と墨と硯を持って歩くのを子供たちは珍しがり、それを囃した。
「お前、習字なんかやるのかよ」
「習字が上手くなるより、九九でも覚えたほうがいいんじゃないのか?」
 ケンがどうして書道の先生と懇意になったのかは定かでない。ケンが通う書道教室はあそこは空き家でなかったかと、近所が思っていたほど構えも粗末、隙間風が通るあばら屋だった。
「人が住んでたんだ」
「相当の貧乏人みたい。だいいち明かりがあるのかしらね」
 夕方になると、ランプの明かりのような仄かな明かりは見えるが、そんな明かりで暮らせるのかというほど微かだった。書道を習っているのは現在ケン一人、だがケンは楽しいらしく鼻歌を歌いながら先生こんにちわと、あばら家の戸を開いた。
 ケンの書道の上達は教師も認めるところとなった。
「誰に書道習ってるの?」
 教師の問いにケンは答えた。
「先生にだよ」
「先生って誰?」
「先生は先生、書道の先生だよ」
 ケンによると、書道教室の曜日は決まっていない。先生が来たときに部屋の明かりがつくので、その時道具を持って書道を習いに行くということだった。
「先生って、書道は本業じゃないの?」
「先生はいろんなことできるんだよ。外国へ留学して外国語の勉強してたことがあるんだよ」
「なに語ができるの?」
「中国語だって」
「それはすごいわね」
「でも、あまり得意じゃないから、日本に帰ってから書道と琴を習ったんだって」
 ケンが筆で書いた半紙を学校に持って来た。書道家先生が書いたくれたと。それを見た教師は驚いた。これはかなりの腕前であると先生同士でも話題になった。
「習字の先生のレベルじゃないね。れっきとした書家だよ」 
 それでは一度書道展に出してくれないか、立派な書をお願いしたいということになった。だがケンの話によると、先生は書道を教えてくれるときだけやってくるので、そこの家には住んでいるわけじゃないと言った。
「じゃ、こんどいつ来るの?」
「明かりがついたとき」
 ケンの言葉は正しかった。書道家先生の家は空き家でただ屋根と壁と床があるだけだった。他に家具らしいものは一切なかった。
「ケンはここでいつも書道をやってるの?」
「うん」
 ケンは、ここでこうやって墨を擦る、ここに半紙を広げて書くと説明した。
 少ししてケンは巻物を持って来た。教師や生徒たちが見守る中、巻物を解いた。掛け軸だった。そこに見事な書があった。教師たちは、嘆声を発して今度は黙ってしまった。あまりに見事だったからだ。
「ケン、この掛け軸は?」
「先生に言ったんだ。ちゃんと書いてくれないかって」
「そうしたら、この書か」
 教師たちは再び黙ってしまった。教師が掛け軸に名前があるのを見つけた。
「これは署名ですよね」
「なんて書いてあるんですか?」
「草書体だから難しいけど、橘はタチバナだろう、そして逸勢、なんて読むかわからないけど」
 国語の教師が言った。
「タチバナノハヤナリじゃないの? 日本三筆の橘逸勢」
「三筆って?」
「日本で一番有名な書家の三人を言う。その一人が橘逸勢だよ」
「そんなすごい人、どこにいるの?」
「今の時代の人じゃないよ。平安時代とかそのへん」
 橘逸勢の名はあっという間に広まった。なぜそんな大物がこの町のあばら家に現れるのか不思議だったが、とにかく町起こしに利用できるのではないかという話しになった。まず町のみんなが書道をしよう、書を発表しよう、そしてこの町を書道の町として売りだそうじゃないかと 勢いづいた。
「ケンの先生に来てもらえればいいんだけどね」
「書道教室はやっているんでしょ?」
「やってるよ」
 だが書道家・橘逸勢は現れなかった。しかしケンだけは橘逸勢に会えているようなのだ。ときどきケンが道具を携えて書道家の家に入って行くのが見られたからだ。
 町の書道展があった。書道家先生の掛け軸が満を持して出展された。近隣の書道家がそろって出展した書道展たが、学校関係者は書道家先生の一等で間違いない、大船に乗ったようなものだと言っていた。
「橘逸勢だもの、間違いないよ」
「でも、平安時代の橘逸勢がなぜ蘇ったの?」
「まあ、深く考えないでおこう」
 書道家の書は群を抜いていた。掛け軸が輝いていた。筆で書を記しただけの掛け軸が黄金に見えたのだ。誰もがその書の前に立ち止まり、引き付けられ長時間立ち止まって見続けていた。それくらい素晴らしかった。
 大学の研究者がやって来た。
「橘逸勢の書があるのはこの町ですか」
 もし本物の日本三筆・橘逸勢の書があるとすれば、それは書道展などいう小さな問題ではない、国宝だと言う。国宝だというのなら、これ以上町起こしに相応しいものはない。町長が飛んできた。なんとすごい財産に巡り合ったのだ、日本三筆がこの町にいたのかと手が震えていた。
「とりあえず、鑑定したいんですよ」
「鑑定するんですか?」
「そりゃそうです、橘逸勢は平安時代の人ですからね」
「いや、それが小学校のケンという生徒の行ってる書道教室の先生が、橘逸勢なんです」
「どういう意味ですか? 橘逸勢が生きているんですか? 平安時代の人ですよ」
 書道展に出展された橘逸勢の書が鑑定された。
「いかがでしょうか」
 大学の研究者が言った。
「贋作ですね。掛け軸に橘逸勢とい署名があるのですが、橘逸勢の書にしては新しいです。掛け軸も現代に作られたものです。書の墨も乾燥がまだ不十分です。贋作です」
 町長の落胆は大きかった。町起こしに絶好だと思ったのにと。実際橘逸勢の書は群を抜いていた。掛け軸が輝いていた。筆で書を記しただけの掛け軸が黄金に見えたのだ。誰もがその書の前に長時間立ち止まって引き付けられていた。それくらい素晴らしかった。だが結果は意外だった。橘逸勢の掛け軸は一等には至らなかった。一等を得たのは他の作品で橘逸勢の掛け軸はそれよりいくつかうしろの順位で終わった。大学の先生に橘逸勢は贋作だと認定されたことが大きかった。
「一等の作品は上手いけど、橘逸勢に比べるも落ちるよね」
「どうしてなんだろう、審査員に聞いてみたいもんだね」
 しかし、一等を取れなかったことで橘逸勢の勢いは削がれた。町の人々から書の話は消え、橘逸勢の話題を避けるようにさえなったのだ。
 ケンは書道教室に通っていた。相変わらず生徒は一人だった。
「ケン君、私の書は贋作だということになってるようだね」
「ガンサクってなあに?」
「ニセモノってことだよ」
「ニセモノなの?」
「この時代では、そういうことになるのかな」
「そうか、先生もたいへんだね」
 ケンの書道はずいぶん上達していた。
「先生っていつも帽子を被ってるんだね」
「烏帽子というんだよ」
「顔はいつも白いね」
「おしろい」
「男もやるの?」
「やるよ。いいだろ。でもケンはやらんでもいいからな」
 ケンは、やらないよと照れたように笑った。
(了)

 
 
posted by 田畑稔 at 22:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください