2020年01月11日

「おでん」作・田畑稔(no.0212.2020.01.20)

 暖簾をかき分けて、おでん屋に入った。
 作りは貧弱、店舗といえるほどではない。換気が不要なくらいにすきま風が吹き込んでいた。柱も梁も、腰掛も膳も古い。使いこんで黒光りしていた。だが、入るとおでんのいいニオイが鼻に飛び込んできた。店の主が、いらっしゃいと野太い声で歓迎した。男は腰掛に尻を下してて、おでんを二つ三つ注文した。
「ニオイに誘われちゃったよ」
 男がいうと、店主は小さく会釈をした。
「この店長いの?」
 男が聞くと店主が答えた。
「ええ、けっこうやってます。先代からですから」
 長くやっているわりには、自分は初めてだった。おでんは好きであちこちの店をのぞいているが、この店は初めてだ。
「じゃあ、先代からの味を守っているというところかな。美味いよ、いい味出してる」
 店主は、ありがとうございますと頭を下げた。
「海のものもらおうかな。タコ、ツブ貝に貝柱も」
 男はタコにかぶりついた。出汁がほどよくしみ込んでいて、じつに美味だった。
「じゃ、先代からやっているんだね、この屋台」
「いえ、先代は先々代から引き継いでいます。その先々代は、そのもっと前の代から」
「すごいね。先々代の前といったら、明治時代?」
 さあ、どうでしょうと店主は鍋の灰汁をすくいながら微笑んだ。
 客が二人やって来た。陽気だった。もう一杯ひっかけてきたのかというくらい声も笑顔も弾んでいた。二人ともどんぶりいっぱいのおでんを注文し、ガツガツと食い出汁を飲み干した。そして、噂通りここのおでんは美味い来た甲斐があると言い、どんぶりを叩きつけるように置いて出て行った。おでん屋を出るとき二人はかち合った。一人が方向を指すと、こっちだったっけと向き直った。
「ずいぶん急いで食べていきましたね。しかも方向間違ったりして」
 店主が答えた。
「皆さん、早く行きたくてたまらないんですよ」
 男は貝柱をつつきながら言った。
「どこへそんなに急いでるんでしょうかね」
 店主はおでんに目をやりながら、親指を横方向に向けた。
「あっちに何があるんですか?」
「楽しいところ、愉快なところ、一度行ったら二度と戻りたくなくなるところです」
「行ったことあるんですか?」
「私ですか? 私はまだ行ったことがないんです。ただここに来る人の顔を見てると、みんな楽しそうで幸せそうなんです。だからきっとそういうところなのかなって思います」
 男は店主の言葉に引っかかった。
「ここはどこなんですか」
「ここは、ちょうど中間地点なんです。この先には、こういう店はありません。だからみんなここに寄っていくんです」
 中間地点とはどういうことだろう。マラソンの折り返し地点でもあるまいにと思ったが、そういえばおでん屋の他に店らしい店はなかった。
「どこへ行く道の中間地点なんですか? この先に何があるんですか?」
 そういえば、客がやって来るのはいつも同じ方向からで、出て行くのもいつも反対方向だった。男も他の客が来た方向から来た。そして反対側に進めと言われたわけではないが、そういう気がしていた。
「だいたいがあっちの方向から来て、こっちの方向に進んで行きます」
 店主は指差した
「オレもこっちへ行こうかと思ってました。なぜかわからないけど」
 店主は言った。
「この方向に進むと、あの世に参ります。ここはちょうどその中間地点なんです」
 男は驚いた。
「この道を行く者はみんなあの世に行く者なんですか? じゃ、オレは死んだんですか。そういうことなんですか?」
 店主は少し悩んだ。
「詳しいことはわからないんですが、少なくとも中間であることは確かですね」
「生きてることと死んでいることの中間という意味ですか?」
「そういうことになるんでしょうね」
 ここを通過して行った者がみな楽しそうだったのは、死ぬことが楽しいからですか?」
「愉快で、幸せなところらしいですよ」
 サラリーマン風の客がやってきた。腰掛に座るなり冷酒を求めた。コップ一杯をあおって、ほうっと嘆声をあげた。そして肩の荷をおろしたように安心した。サラリーマンは干したコップを差し出し、もう一杯を求めた。
「お疲れさまでした」
 店主がいうと、サラリーマンは本当にホッとした顔で感謝の言葉を述べた。
「私に感謝されても…」
 店主は笑った。サラリーマンは言った。
「いえ、皆さんに感謝です。感謝しかありません」
 サラリーマンは注がれた酒を半分あおって、ようやく一息ついた。
「あの、お聞きしてもいいですか?」
 男が問いかけた。
「あなたは、死んだのですか?」
 サラリーマンは、少し照れたように言った。
「これから死ににいくところです。よくここまでたどり着きましたよ。有名スポーツ選手じゃありませんが、自分で自分を褒めたいところです」
「頑張ったんですね」
「ええ。頑張りました。働いて、家庭を持って子供を育てて、そしてようやくあの世に行くことができます。やはり自分で自分を褒めてもいい。よくやったなと自分を誇りたい。そんなところです」
 男は聞きにくいことだがと、聞いた。
「戻ることはできるんでしょうか?」
 サラリーマンはおでんを美味そうに頬張りながら言った。
「戻れないことはないと思いますが、ここまで来てわざわざ戻る人なんていませんよ。愚かなことだとおもいます。私は絶対戻りません。冗談じゃありません」
 サラリーマンは笑った。男は今、生と死の中間地点にいるらしい。 
「どうせ、みんな行くところですよね」
 男は興味本位とついでだからと、あの世を目指そうと思った。そう思っておでん屋の暖簾をかき分けて出ようとした時だった。人がやって来た。方角からするとあの世に行ったはずの人が戻って来たのだ。それも大勢だ。しかも口を尖らせてしきりに不平不満を言っていた。男は戻ってきた男に問いかけた。
「どうして戻って来たんですか? あの世に何かあったんですか?」
 痩せた男が言った。
「どうもこうもないよ。話が全然違う」
 同じように痩せて青白い生気のない顔をした男が言った。
「いいところだっていうから死んだのにさ。死ぬのは失敗だった」
 あの世に行ったことを後悔している風だった。
「後悔してるんですか?」
「後悔するとも。行くべきじゃない」
 何があったんですか、あの世とはどういうところなんですかと男はあの世から戻って来た者に問いかけたが、みな吐き捨てるように怒りと後悔の羅列だった。 
 あの世から戻って来た者たちが立ち止まっていた。道は続いていたが彼らはそこから戻れない、何かに通せんぼされていると男に助けを求めた。
「死んでるからですよ」
「えっ?」
 おでん屋の店主だった。
「あの人たちはいったんあの世にいきましたからね、死者なんです。死者はもう戻れません」
「私は、どうなんですか?」
「お客さんはまだ行ってないでしょ。中間まで来ただけ、だったらまだ戻れると思いますよ」
「じゃ、オレはまた来た道を行けば、元の世界に戻れるんですね?」
「と思いますよ。どうします?」
 店主はまた暖簾をかき分けておでん屋に戻った。男は店の中まで追いかけた。
「店主、店主は戻れるんですか。店主はまだあの世に行ってないですよね」
 店主はおでんの鍋に菜箸を入れると、店はおでん出汁のおいしいニオイが漂った。店主は意味ありげに笑っただけだった。
(了)
 


posted by 田畑稔 at 21:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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