2019年11月27日

「刑事」作・田畑稔(no.0166.2019.12.05)

 刑事が帰ってきた。
 白いトレンチコートと白いパナマ帽。テレビドラマの刑事を気取っているのか、眉間にしわを寄せて今、タバコをもみ消して、いったん空を見上げて吸殻を捨てた。
「パパに早く入りなさいと言ってきなさい」
 妻が小学生の娘に言った。
「パパァ、お帰りなさい!  ママが早く入りななさいって」
 刑事の男は、通りに仁王立ちして何やら考えるポーズをとっていた。あくまで、ポーズだけなのだ、決して避けえない。男の生活の中心をなすものだからだ。
「パパァ、犯人は殺した?」
 娘はいつも直言する。男は言った。
「残念ながら、まだ殺してはいない」
「まだ殺してないの。ふーん、事件て難しいのね」
「まあ、簡単ではいよ」
 妻は言った。
「事件はなんなの?」 
「殺人事件だ」
「それは大事件ね」
 男は煙草に火をつけた。
「パパ! 家でタバコは吸わないでって言ってるでしょ!」
 男は携帯用灰皿にタバコを押し付け、パンパンと両手をはたいて灰を落とした。妻は、灰が落ちてるでしょ、まったく汚いんだから、掃除するのは誰だ思ってるのよと毒づいた。
「犯人の目星はついてるの?」
 男は、少し間を置いて言った。
「いや、まだだ」
「被害者は? 男?女?」
「調査中だ」
「誰が死んだの?」
「そこが捜査の焦点なんだ」
 男は刑事である。刑事は組織のメンバーだ。組織の掟を守らなければならない。理不尽と思うことがあったとしても、それは耐えねばならない。そこをいちいち逆らっていては組織にはいられない。とにかく上司の指示は聞く、判断をあおがねばならない。そして、それはゆめゆめ疑ってはならない。
「追跡しているか?」
 刑事部長の言うことに、ヒラ刑事は逆らってはいけない。
「実は刑事部長。この事件は謎が多すぎると私は解釈しているんです」
 刑事部長は葉巻を吹かした。葉巻は、刑事部長にとっては必須である。
「謎とはなんだ」
 男は答えた。
「事件の加害者、被害者双方ともいずれも捜査線上に浮上しておりません」
 刑事部長は少し怒気を込めて言った。
「それじゃあ何か? 被害者も加害者もがいるかどうかがまず第一の問題だとでも言うのかね」
「いえ、そうは申してはおりませんが…」
「君! テレビドラマの俳優のようなポーズが得意な君。捜査線上に浮上するものというのは、常に捜査することそのものじゃないかね」
 部長刑事は、声のトーンを一段と上げて言った。
「捜査を続けるように!」
「ははっ!」
 対策本部が開かれた。男も参加した。とにかく、捜査本部の意気込みたるや凄まじいものであった。さすがは捜査本部の敏腕どもであると、男は感服した。
「君たちの間には、まだ加害者も被害者もいないと思っている者がいるかもしれないが、刑事部長がおっしゃったようにわれわれ捜査本部は捜査すること、そして捜査本部の人員にとっての具体的な指示は、事件を追跡することだ」
 手を挙げたのは男だった。相変わらず白いトレンチコートと白いパナマ帽を身に着けていた。
「疑問を正すことは賢明だ。言ってみたまえ」
「では捜査本部長、申し上げます。そもそも事件は起こったのか起こっていなかったのか、二元論で申し述べたいと思うのです」
 捜査本部長は言った。
「刑事らしい、着崩しも様になってるわりには無意味なことを聞く男だな。われわれにとって必要なことは事件が起こったか、起こってないかではなく、とにかく一心不乱に事件を追跡することだ。違うかな?」
 男は捜査本部長に打ちのめされた。公務員の世界に上り詰める者はさすがである。無意味に説得力がある。無意味に牽引力がある。やはり叶わないと男は思った。
 刑事部屋に戻ると妻が来ていた。いつもの妻ではなかった。明らかに表情が違った。こんな場合、決して良い情報を自分にもたらすものではない。そういう感じがひしひしと伝わってきた。
「お話があります」
 妻はすくっと立った。
「別れてください」
 ある程度予想された言葉だった。男はそう予感していた。だから驚きは少なかった。
「どうしてだね?」
「あなたは敏腕刑事だと思っていましたが、ぜんぜんそうじゃなかった。どうかしら、これで話は終わりですが」
 娘が現れた。
「パパ、パパのことは大好きだけど、あたしはママに付いて行くわ。あたしにはパパは敏腕刑事がいいの」
 娘の直言には慣れている。しかし男は動揺した。
「待ってくれ、二人とも。もうちょっとなんだ、もうちょっとで犯人を捕まえるから」
 妻は言った。
「だから聞いてるじゃないの。そもそも事件はあったの?」
「だから、それを追及していると言ってるじゃないか。もう少しなんだ」
「もう少しで何がなるの?」
「だから、もう少しで事件の全容がわかる。そもそもこの事件とはなんだったのか。オレが追いかけているものは何なのか、それが分かる。もう少しで分かるんだ」
 しかし既に、捜査本部からも外れ、刑事の職からも放逐された。現在では、痴漢検挙を専らとしていた。気に入った仕事ではないものの、だからといって嫌いな仕事でもない。むしろ男は自分らしいと思うこともあるくらいだった。男は説教が大好きだからだ。
「君は何をしたんだね?」
「オレは何もしてませんよ」
「言い方が悪かった。君の追求せんとするものは何かね?」
「何も追求してませんけど」
「おかしいな。追求しなくて何が開拓できるというんだ」
「早く帰らせてくださいよ」
「だから、己の力で開拓することこそ未来が開ける要点じゃないのかね。違うか?」
 様子見ていた妻と娘は、やっぱりパパはダメねということを言い合って、帰った。
(了)


posted by 田畑稔 at 22:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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