2019年11月26日

「古井戸」作・田畑稔(no.0163.2019.12.02)

 気味の悪い井戸だ。
 枯れ井戸ではない。水はあるようだ。夜ともなると井戸水は真水なのか泥水なのかもわからない。恐る恐るのぞいてみる。石ころの一つも投げ入れてみる。けっこう時間を要したうえにトポーンと。かなり深い井戸、そのうえ水もなみなみと湛ているのがわかる。
 よく見ると、たとえよく見なくてもわかる。何かいる。のぞくとそいつと目が合ってしまう。でも水くみはたいてい子供の仕事。桶を落とした時にその変なそいつ、オバケが、井戸に落とした紐のついた桶の脇に顔を出して桶を握っていたりする。握らないでくれよ、離してくれよと子供なら泣いてしまうかもしれない。けっして桶を引き上げるのを邪魔して桶を引っ張ったりするわけではない。ただこの世の目じゃない丸い目で、じっと見る。だから余計に気持ちが悪い。
 オバケとはなんだというと、オバケはオバケとしか言いようがない。容姿をいうと大きなサンショウウオにも似てる、ヌルっとしている。さすがは古井戸の住人である。そして意外なことにしゃべるのである。子供が水くみにやってくると言う。
「カネは欲しくないか」
 子供は無言で桶を下す。
「おい、聞いているのか。カネは欲しくないか。答えよ」 
 子供は水を汲むとオバケにアカンベーして去った。次に来たのは女だった。女は桶を井戸に降ろした。
「カネは欲しくないか」
 女は恐る恐る井戸をのぞくとオバケがいた。
「カネは欲しくないかと聞いてるんだ。金貨をやるぞ。どうだ?」
 女は震えながら桶を下した。
「おカネも欲しいですが、今は水が欲しいです」
 女は水桶を抱えて去った。次に現れたのは男だった。桶を井戸に下した。
「カネは欲しくないか」
 男が井戸をのぞくと、丸い二つの目がこちらを見ていた。ほらきた、とオバケは思った。
「カネをいただけるんですか?」
「やるぞ、金貨をやる。欲しければ手を伸ばせ。こちらは井戸の中なんでな」 
 男は手を伸ばした。
「もっと伸ばせ、もっと頑張れ」
 男はぎりぎりまで手を伸ばした。そしてオバケの手がするすると井戸の縁まで伸びて男の手を引くと、男は井戸に頭から突っ込んだ。どこまで深いのか分からないくらい深くて暗くて、冷たい井戸にはまった男はそれっきり上がってこなかった。そしてオバケは次の獲物を待つのである。
「男は欲が深いから仕事がやりやすい」
 オバケは不敵に笑った。
「ああ面白くない」
 見るからに人間でない、井戸の外のオバケが井戸の中のオバケにケチをつけていた。
「古いことやってんなあ、今どき流行らないよ」
 井戸の中のオバケは、面白くない。
「そこにいるのは誰だ?」
 井戸の外のオバケは言った。
「お前と同業者だよ。こんな古臭いオバケを同業者とは言いたくないがね」
「なんの用だ?」
「用というほどのものはないが、とにかく古いやつは嫌いだ」
「どこが古いっていうんだ。人をだまして古井戸に引きずり込む。昔からこのやり方だ。他にはない」
 井戸の上のオバケは笑った。
「だから進歩がないというんだよ。子供と女は見逃して男を引きずりこむ。男が一番バカだといいたいんだろ? そうかもしれないががね。ただ女と子供は助けるが、男をバカにして楽しいという昔のやり方昔の価値観。昔話にしても流行らない。古臭くてどうしようもない。オバケだって進歩しなくていいわけじゃない。断固そうじゃない」
 小難しいことをいうオバケだ。井戸の中のオバケは井戸の外のオバケが言ってることの、半分もわからなかった。
「おい、ちょっと聞きたい」
 井戸の中のオバケが言った。
「お前さんのような新しいインテリオバケの言ってることは、よくわからん。もう一度口を近づけてゆっくり言ってくれよ」
 井戸の上のオバケが、井戸の中のオバケに近づいて大きな声を出すと、井戸の中のオバケは外のオバケをグイとつかんで引きずり落とした。井戸の外のオバケは深い深い底の見えない井戸の中に沈んだきり浮かんでこなかった。
「ざまあ見ろ。オバケは古いほうが知恵はなくとも力はあるんだ」
 再び女がやってきた。
「おい女、カネがほしくなったか。やるぞ、手を伸ばせ」
 女は泣いていた。しくしくと。
「女、どうした。何を泣いている。わけを言え」
 女は訴えるように言った。
「あたしがご主人様に、井戸のオバケが金貨を出して欲しいかと言い、欲しいというと手を引っ張って引きずり込むから怖いと言ったんです」
「その通りだ。それで?」
「ご主人様は、オバケが金貨なんか持ってるものか、せいぜい借金の証文がいいとこだというんです。水を汲みたくないからそう言ってるんだろうって」
 オバケは言った。
「借金の証文であるもんか。れっきとした金貨だ。ほら見ろ」
 女は言った。
「ほんとに本物の金貨なら、見せてください」
 女は、オバケに井戸の上まで来るよういった。井戸の中に手を伸ばすのは怖いからと。オバケは井戸の上まで来て手を伸ばすと、確かに金貨があった。
「ご主人に見せてきます」
 女はオバケの手の中にあった金貨をつかみ取って一目散に走り去った。鈍いことにオバケは、女は金貨を持って主人に見せに行くと、しばらくはそう思った。だが、日が傾いても女は戻ってこず、オバケはようやく盗られたことに気づいたのだった。
 子供がやってきた。オバケが井戸の上にいるのを見て驚いたが、仕事を済まさなくては怒られるのでさっさと井戸に桶を放り込んだ。
「おい子供」
 オバケは言ったが、子供は何も答えなかった。
「さっきはまんまと女にやられたが、もうそうはいかないからな。金貨は絶対やらないぞ。なにをどう言われても残りの金貨は絶対やらないからな」
 子供は、オバケの手の中を見ると金貨があるので、腰に結わいつけていたナタでオバケの頭をたたき割り、金貨をつかみ取って帰った。
(了)


 
posted by 田畑稔 at 07:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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