2019年11月22日

「ボルシチ」作・田畑稔(no0158.2019.11.27)

 老舗のレストランはきょうも閑散としていた。
 12月になればクリスマスもあり年末年始もあり、そこそこのお客は訪れるのだがその前の11月は客が少なかった。そもそもこの町の人口減少と高齢化が原因だった。レストランは様々に試みた。週末のフェア、誕生日や人生の記念日、そもそももっと洋食を知ってもらおうと安価なランチのメニューも並べた。
「雪が降ってきたか…」
 ウェイターは、窓の外を見た。白い雪が舞っていた。
「この天気じゃあなあ…」
 厨房のスタッフが、ウェイターのひとり言を聞いて笑った。雪の粒が細かくなっていた。気温が下がっているのだろう。レストランは静かな夜を迎えていた。
 久々にお客が来た。男性がレストランのドアを閉めると肩の雪を払った。
「いらっしゃいませ」
 ウェイターは目を合わせて軽く会釈をした。
「お待ちしておりました」
 ウェイターがコップの水をテーブルに置いて、メニューを提示した。男はメニューを見たのは短時間だった。
「一番高いコースをください」
 この店はロシア料理からスタートして現在はフレンチを基本としていた。明治の初めころ、ロシア正教教会が建設されその後にレストランが建設された。いずれも地域ででは最も早く、そして老舗として続いていた。ウェイター少し曇った顔をした。
「お客様。当店のコースディナーはご予約様のみ承っております」
 男は言った。
「じゃ、コースはダメなの?」
「あいにくでございますが…」
 その時、厨房から手招きがあった。本日はこれまで客がないので在庫に余裕がある。一人分なら作れるよというのだった。
「お客様、ご注文承ります」
 男はレストラン内にきょろきょろ見回していた。厨房のコックがウェイターに話しかけた。
「典型的な初心者だな。一番高いコースを注文したんだろ? カネあんのかな、よく見とけよ」
 コックは、まさかとは思うが食い逃げはないだろうなと、そう言ったのだった。料理を運ぶと男は食べ始めたが、やはり基本的な料理マナーを知らないように見えた。だからといって食べさせないわけにはいかない。ウェイターは淡々と仕事をこなした。
 雪はどんどん強くなってきていた。男は窓の外を見た。
「ホットブランデーをいただけますか?」
 ウェイターがテーブルにホットブランデーを届けると男は言った。
「このブランデーは、恩師の好きなものだったんです」
 ホットブランデーというのはめったに注文があるものではないから、以前このレストランで定番のように注文していた客がいたことを思い出した。
「お客様はこのレストランとご縁がありましたか?」
 男は言った。
「恩師が、このレストランに来て、ホットブランデーをよく召し上がっていたと聞きました」
「先生は今どちらに?」
「わかりません。僕は卒業して以来会ったことがないんです」
「お客様はどこの学校のOBでいらっしゃいますか?」
 ウェイターは事務室に戻ると、客の男が言った学校の卒業名簿を持ち出してきた。レストランは地元の学校のパーティーや食事会を催すことがあるため卒業名簿をそろえていた。ウェイターは記憶が蘇ってきた。数年前、レストランを懇意にしてくれた退職教員がいた。ディナーであってもランチであってもいつも最後にホットブランデーを定番としていた。
「T高校のOBでいらっしゃいますよね。もしかしてホットブランデーをお好みの先生って、この方じゃありませんか?」
 男はアルバムの写真を見比べて言った。
「そうです。このM先生です」
 ウェイターは言った。
「私もよく覚えてます。M先生はよくいらっしゃって、ごひいきをいただきました」
「最近どうなんでしょう。まだこのレストランはひいきにしてくれてますか?」
 ウェイターは静かに言った。
「この先生は、数年前にお亡くなりになっております」
「そうだったんですか…」
 男はホットブランデーを口につけた。
「先生には本当にお世話になりました」
「素晴らしい先生だったんですね」
 男は部屋の隅を見て言った。
「古いストーブがありますね。あれはまだ使えるんですか?」
「あのストーブですか? ソユーズです」
「ソユーズ?」
 ウェイターは自慢げに言った。
「昔のソ連のロケットの名前から取りました。レストランでは昔本当にストーブを使っていましたが、またお客さんに火の明るさと暖かさを感じてもらいたいと設置しました。燃やしますか? ちょうど雪も降ってきましたし」
 ウェイターは薪を持ってきてストーブ・ソユーズの中で火をつけた。ストーブの小窓から漏れる赤い炎が部屋と心を温めた。
「あたたかいですね、北国はやっぱりストーブです」
 男はそう言って両手をこすり合わせた。ウェイターが鍋を抱えて、ストーブに置いた。フタがなく中は赤いものがぐつぐつ煮あがっていた。
「ボルシチです。サービスですから、ご遠慮なく召しあがってください」
 ウェイターはボルシチを皿に盛りつけた。
「ロシア料理からスタートしたレストランですから、ボルシチは忘れないでつなげております」
 男はボルシチを頬張った。実に美味そうに頬張った。
「ありがとうございました。もうお腹いっぱいです」
 ウェイターはお茶を差し出した。ストーブはまだ赤々と燃えていた。男はストーブをの明かりを受けて顔が赤く火照っていた。疲れたような、遠くを見つめるそんな目をしていた。
 男はお札を出した。ウェイターはレジ打ちをして釣りを渡そうと席に戻ったが男はいなかった。トイレかなと思って、トイレで声を掛けてみたが男の影はなかった。玄関のドアを開け、辺りを見渡してみた。いなかった。厨房でコックに聞いても同じだった。
 ウェイターはそこでようやく気付いた。T高校の卒業アルバムをもう一度開いた。卒業生の写真の中に男の顔があった。ただ、卒業アルバムでは黒い枠がつけられた写真が載っていた。卒業前に死亡していた生徒だった。
(了)


posted by 田畑稔 at 21:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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