2019年11月18日

「マラソン」作・田畑稔(no.0152.2019.11.21)

 マラソンレースが始まった。
 男がレースに参加を決意したのにはそれほど大きな理由があったわけではない。駅前で配られていたチラシをたまたま受け取っただけだった。男は気軽に応募した。しかし周囲にそのことを報告したが反応はなかった。
「なんだそれ? 休みは取れるのか?」
「有給休暇がたまってるから」
 究極のサバイバルレースとうたわれていた。この国の中央部を走る山脈を横断し最後は最高峰にゴールする。確かに高い山が多い、気候も冬に向かっている。厳しいレースになるだろう。それは確かだが、男には密かに勝算があった。
「一週間、慌てずにやるよ」
 スタート地点に立ったが、気になったことがあった。他の参加者が見当たらないのだ。
「他の参加者はいないんですか?」
 大会実行委員に聞いた。
「いますよ」
「見当たらないけど」
「選手それぞれにスタート地点の違いや時間差がありますから」
 もう一つ合点がいかなかったが、男は出発した。長距離マラソンレースであれば普通なら旗を振ってくれたり声援を送って見送ってくれたりするものだが、誰もいなかったのだ。
 長距離マラソンレースなので男は宿泊用テントなど重量のある装備を携えていた。だから滑らかな足取りというわけにはいかなかった。思ったよりも足元は荒れていた。
 森へ入り、気温は下がった。一気に心細くなった。道をもう一度確認した。その時初めて分かったことなのだが、地図にはスタート地点とゴール地点は記されてあるだけで途中の道は画かれていなかったのだ。それでは通り道がわからないではないか。もう一度駅前でもらった大会要項を見た。そこには、自力で頑張れと書いてあっただけだった。
 一人になって三日くらいたっただろうか。山は深かった。太陽の位置を見て、ようやく自分の位置を知った。周りで見かけるのは鹿やキツネくらいであった。キツネは明らかにこちらを意識していた。
「おい!」
 男は、呼び止められたような気がしてきょろきょろ見回した。
「どこを見ているんだ」
 声のする方をみると、それはキツネだった。
「人間よ。行先はどこだ?」
「ゴールです」
 それを聞いて満足したのか、キツネは去った。男は走り続けると鹿がいた。だがそれはよく見るとカモシカだった。
「おい!」
 また動物に呼び止められたのだ。
「なんでしょう」
「行先はどこだ」
 男は答えた。
「ゴールです」
 カモシカは去った。男は森の真っただ中を走っていた。このレースは本当に続いているのだろうか、疑念が湧いてきたのだった。女が現れた。
「息子よ」
「母さん? 母さんじゃないか、母さんだよね」
 男の死んだ母親だった。
「どこへ行くのか、母さんに教えておくれ」
「ゴールに向かってるだけだよ、母さん」
「そうかい。それはよかった…」
 母は消えた。男は母親に会ったのは久しぶりだった。もっと話したかったのにと思ったら、父親が現れた。
「父さん…」
「息子よ、お前はどこに向かっているのか」
 男は答えた。
「ゴールに向かってますよ。父さん」
「そうか、それはよかった」
 すると次に現れたのは女だった。
「あなた」
「君はだれだ?」
「冷たい言い方ですね。あなたの妻じゃありませんか」
 男は驚いた。男に妻はいなかったからだ。
「あなた、いまどこに向かってるんですか?」
 男は返事をためらった。
「答えてくださいな。あなたはどこへ向かっているんですか?」 
「…ゴールですけど…」
 男の視界は晴れてきた。太陽が輝く海辺を走っていた。足元をかすかに波が洗った。ランニングシャツにパンツ姿の男が現れた。マラソンランナーに違いなかった。たくましい体躯だった。
「君はどこに向かっているんですか?」
「ゴールです」
 男はランナーに話しかけた。
「あなたは、名のあるランナーではありませんか?」
「いいえ、私は三位になったことがあるだけです」
「僕が知っている有名なランナーも三位でした。のちに自殺してしまいましたが」
 足元に雲海が広がっていた。景色はすっかり変わっていた。自分はいまどこを走っているのか、道が正しいのかどうかもはっきりしなかった。だが爽快な気分は続き男は走り続けた。
 道の先に、二人の人間が一本のロープを渡して待っていた。沿道からは拍手がおこった。男はゴールしたのだった。
「おめでとうございます」
 男は祝福された。
「終わったんですか? 僕はゴールしたんですか?」
「そうです、あなたは無事にゴールしました」
 男は祝福された。ゴールの地には標識があって、HEAVENとなっていたのだが、残念なことに男は英単語は読めなかった。
(了)


 
posted by 田畑稔 at 22:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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