2019年11月18日

「歯科医」作・田畑稔(no.0151.2019.11.20)

 歯科医は妙なものを見た。
 職業柄、歯科医は人の口の中を見る。そこで妙なものが見える。最初は錯覚かと思った。最近は患者が減った分歯科医が過剰となって、いまやサービス合戦となっている。診療時間は延びるし休日も祭日もなく診療しなければならない。歯科医はそのせいかと思った。きっと心も体も疲れているせいなのだ幻だろう、そう思った。だがそいつはいた。何度見返しても消えずにずっといた。
 歯科医は患者の口の中に「眼」を見た。歯科医は自分の目を瞬たかせて、目をこすってゴシゴシしてみた。そして患者の口の中をもう一度見た。やっぱり「眼」はあった。二つしっかりこちらを見ていた。だが「眼」はそれ以上の悪さをするわけではなかった。だから放っておいても仕事にはなる。だがやっぱり気になる。ひとこと申し述べておきたかった。
「あの…」
 患者は答えた。
「なにか…」
「…いや、やっぱりやめておきます」
 患者は訝った。果たして口の中に重大な病気でもあるかもしれない。患者はそう思ったようだ。
「…ガン、でしょうか。口の中のガンもあることは知ってます。わたしガンなんですね、ですよね。はっきり言ってください」
 もしかして「眼」はガンなのかもしれない。歯科医は自分の得意分野は限られている。だから分からないものは分からないとはっきり言わねばならない。だがやっぱり歯科医は口ごもってしまった。
「いや、そんなにだいそれたアレじゃあ…」
「そんなにだいそれたあれじゃあないなら、なんでしょうか」
 歯科医は言った。
「神経衰弱です」
 歯科医自身は、とっさに出た病名が的を得たと少し自分を誇った。実際、患者の口の中に「眼」を見るなんて神経衰弱の症状と診断して正解かもしれない、歯科医はそう思った。
「私ですよ。私が、神経衰弱です。お気になさらずに」
 歯科医は夢を見た。歯科医は歯科の診察室にいた。そこには歯科の治療を受ける患者がいた。その患者の口の中には「眼」があり、それだけではなかった。その「眼」を持つ人間が口の中から出て来たのである。なにかオーバーでも脱ぐように、患者の口の中から出て来た。多少暑かったかもしれない、湯気を立たせるように顔が上気していた。
「先生、今日は顔色がいいですね。よく寝られましたか?」
 歯科衛生士が言った。歯科医は、褒められたようでうれしかった。
「よく寝られてるよ」
 歯科医は診察台の患者の背を倒した。いつの間にか患者の口から「眼」も消えていた。歯科医は口笛を吹きたくなった。心の軽さを感じていたのだ。そのとき、ふと見た患者の目に驚いた。歯科医の目の前の診察台に横たわる患者の目はあの「眼」だった。そして「眼」は体を備えていた。歯科衛生士がうろたえている歯科医に言った。
「先生、どうかしましたか?」
「いや、あのその…」
「体調が悪いんですか?」
「いや、だいじょうぶだから」
 歯科医は患者の顔にハンカチを載せた。「眼」を隠してしまえばいい。口の中に器具を押し込んで治療をしていたところ、また「眼」を感じた。見ると男が歯科医と同じ白衣を着て医師のように立っていた。
「研修医です」
 歯科衛生士が言った。
「いつ来たんだ?」
「きょうからです」
 研修医は白衣にマスクをつけて帽子までかぶっている。覗いていたのは目だけ、その目が「眼」だった。「眼」は合計二人いた。すると顔にハンカチをかけていた患者の口が開き、窮屈な体を解放するように人が出て来た。同じ「眼」だった。
「出かけてくる」
 歯科医はいたたまれなくなったのだ。しばらくして歯科医は戻ってみると、医師が歯科衛生士の補助を受けて診療していた。あの「眼」の医師だった。
「…衛生士さん、衛生士さんたら」
 歯科医が声を掛けたが返事は意外だった。
「順番が来たらお呼びしますので」
「そうじゃなくて、オレだよオレ」
 歯科衛生士は傍らの医師に言った。
「先生、あの患者さんどうしましょう」
 「眼」はつまみ出せと命じた。歯科衛生士が診察室の裏に歯科医を連れ出した。
「どういうことんなんだね」
 歯科衛生士が言った。
「あなたこそ、診療の邪魔をしないでください」
「オレはこの医院の歯科医だぞ」
 歯科衛生士は言った。
「そんな昔のことは知りませんよ。医療スタッフは日々新陳代謝してるんですから」
 見ると歯科医師が大きく口を開け、ゲボっと吐くようにしたらまた口の中から男が出て来た。あの「眼」だった。そして「眼」の男は白衣を着てどこかへ去った。去り際、歯科衛生士たちが、行ってらっしゃいと手を振った。
「代わりはいくらでもいますから」
「だからといって、こんな気持ちの悪いこと…」
 そう言ってる間に歯科衛生士の口は大きく開き、ゲボっと吐くと窮屈そうに折った体を解放した女が出て来た。女はあの「眼」だった。
「お前たち、みんな怪物だったのか…」
 歯科医がそう言い切る前に、「眼」の女は歯科用ドリルを歯科医の脳天に突き刺した。
(了)






 
posted by 田畑稔 at 11:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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