2019年11月14日

「レーシック」作・田畑稔(no.0145.2019.11.14)

 男は眼科を受診していた。
 近視を矯正するためにレーシック手術を受け、その後の診察であった。診察室に呼ばれ医師から幾つか質問を受けた。
「調子はどうですか?」
「ええ…まあ…」
「ちゃんと見えてますか?」
 男は答えた。
「確かに視力は良くなった気はしますが…」
「気になる言い方ですね。ちゃんと見えてるんですね?」
「見えることは見えるんですが、他のものも見えるんです」
「他のものって、なんですか?」
「お釈迦さまが見えます」
「お釈迦さまが見える?」
 男が言うには、レーシック手術の直後から視界にぼんやりと釈迦が現れた。そして日がたつにつれて釈迦の輪郭ははっきりしてきた。髪を丸めたブツブツの頭に半眼というおなじみのお釈迦ルックであった。しかも釈迦はどうやら生きている。長いまつ毛の切れ長の目は時々瞬きした。かすかに呼吸もしている、膨らんだ腹が静かに波打っていた。
 医師がいうには、レーシック手術の後に釈迦が見えると訴える患者は初めてじゃなかった。そういう患者を綿密に調べた。目に異常はなかった。精神的なものかと、心療内科方面の検査もした。
「レーシック手術の後に釈迦が見えるという方は初めてじゃないんです。どうやら眼科の領域じゃなさそうなんです」
「じゃ、どこの領域ですか?」
「とりあえず、そういう患者の団体がありますから、教えしておきますね」
 男は、レーシック手術の後遺症に悩んでいる患者たちの会、の門を叩いた。
「お釈迦さまなんですね? あなたが見えると言うのは」
「他にもあるんですか?」
「いろいろありますよ。お釈迦様が見えるという方はむしろ少ないです。動物とか昆虫とか魚とか。お釈迦さまなんてグレードの高いものが見えてよかったじゃないですか」
 レーシック手術の後遺症に良いも悪いもあるんだろうか、男はそう思った。
「原因はなんでしょうか」
「わかりません。でもまあ、日常生活にさほど支障がなければいいんじゃないかと、われわれは考えていますが」
 会社の後輩にも同様の目の後遺症を持つ者がいることがわかった。
「君も、お釈迦さまが見えるんだって?」
「はい…」
「どう? やりにくいだろ」
「僕のお釈迦さまは寝てばかりですから」
「こうか?」
 男は頭を横にして腕枕のポーズをとった。
「東南アジアのお釈迦さまは、よく寝てるけどね」
「はい…」
 後輩はなんだかうれしそうなのである。
「嬉しそうだな」
「はい、僕はとっても光栄だと思ってます」
 このところ男の見えるお釈迦さまはよく動くようになった。立ったり座ったり、あくびをしたかと思うと寝転んでは起きた。そして男に向かっておいでおいでと言うように招いた。
「オレに来いっていうの?」
 男が言うとお釈迦さまは、そうだ早く来いと手招きした。すると男はすうーっと吸い上げられた。いつの間にか雲の上にいた。見ると遠く眼下には富士山があり、高層ビル群がはるか下にあった。
「先輩!」
 呼んだのは同じレーシック手術の後遺症を訴えていた会社の後輩だった。
「おまえか。ここはいったいどこだ? 天国か極楽か?」
 あたりは薫風穏やか、甘い香りが漂っていた。これが伝説でいう甘露なのかと男は思った。
「どっちでもいいじゃないですか。それより、われわれは選ばれたんですよ」
「選ばれた?」
「そうです。ここにいるということは、選ばれた証拠です」
 見回すと、百人かそこいらの老若が雲の上にいた。
「誰に集合されたんだ?」
 あれを見てくださいと後輩が指を差したのは大きな柱だった。太さと長さの違う柱が並んで立っていた。だがそれはよく見ると柱ではないのだ、指だった。巨大な指だったのだ。ということは手のひらや、さらに巨大な腕に顔や体が別にあるはずだ。それはお釈迦さまを置いて他にない。やはり伝説で言うようにお釈迦さまは巨大だった。
「先輩、呼んでますよ」
 見ると雲の上の人々はそろってお釈迦さまの導くままに歩いていっていた。
「おれはいいよ」
 後輩は言った。
「行かないんですか?」
「いい、オレは行かない」
「そうなんですか。オレは行っちゃいますね」
 後輩は人々の行列の中に消えた。男が断ったのは家族のことを思い出したからだ。男には妻とまだ小さな娘がいた。娘は来年から幼稚園に仲間入りする。別れ難かったのだ。
 男はふとみると地上にいた。会社の自分の席に座っていた。周囲は何も変化がなかった。日常が舞い戻っていたのだ。
「あの、あいつどうしたっけ? オレの後輩で、レーシック手術の後にお釈迦様が見えるといっていたあいつ」
 同僚は、首を傾げた。
「そんな男いないよ。それよりお前、レーシック手術受けたの?」
 男はふと思い出した。目を何度か瞬いた。お釈迦様は見えなかった。目の前にはもうお釈迦さまはいなかったのだ。
(了)



posted by 田畑稔 at 10:04| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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