2019年11月13日

「礼拝堂」作・田畑稔(no.0144.2019.11.13)

 港町の正教会も財政は厳しい。
 そこそこ名前は知られているが、観光地で相応しいようにと年ごとに化粧を施し、美化に努めてきた。しかしその費用はバカにならないほど累積していた。元々、信者のみに限られていた結婚式も今では一般に開放している。実際には夏のしかも週末に限られる。それでも熱心な信者は、他の宗教、宗派の人を内部に招き入れるには抵抗があった。
 日本で初めてロシアからやって来た正教会だった。正教会の本部は少ししてお茶の水に引越したが、港町の教会は残った。かろうじて残ったというべきか、なにしろ教会の信者は数十人ほどしかいなかった。
 基本的に信者の寄進で成り立つのが教会なのだから、これでは苦しいのは当然。だからしばらくは名物だった正教会の鐘をもさび付いたままだった。だが、町の観光資源再開発の流れに乗って正教会も鐘もだいぶん復活した。だが町はそもそも人口が減り続けている。正教会の予算も減り続けており、正教会の雑務も信者の奉仕に頼るしかないのが現状だ。
「司祭、来年度の予算の策定の時期です。大きな収益イベントが欲しいところですね」
 副司祭にそういわれても司祭は明快な返答できなかった。
「日本で最初のロシア正教会というところを生かす、ということしかないんじゃないかな」
「最初のロシア正教会はそれはそれでいいんですが、ここハリストス正教会独自の売りってものはないでしょうか?」
「あればいいけどね」
「ちょっと聞いた話なんですが、この教会にはかつて非常に有名な人が埋葬されたというんです。観光資源にできませんか?」 
「誰だい?」
「歴史上、大変有名な人物です」
「だから誰?」
 副司祭はちょっと間を置いて言った。
「土方歳三です」
「ほんと?」
「有名人でしょ」
「そりゃあ、すごい有名人だけど…」
 土方歳三は戊辰戦争のさなか函館で死んだ。現在の函館駅近くで土方は敵方に撃たれた。その遺骸は函館山の麓の寺に運ばれたということになっているが、その先がわかっていない。だが教会が建設された年代と土方歳三が函館にいた年代は符合するし、土方が死後運び込まれたという寺はハリストス正教会のすぐ近くである。あったとしても不思議ではなかった。
「土方歳三は今まで、遺骸があると噂のある所はだいたい調べつくされているが、まだ発見されていない。つまり結局、誰も思いつかないところに埋葬されたので今まで見つからないのではないかと」
「それが元町の正教会だというの?」
「信者様たちの間ではずいぶん昔から噂になっているんです。正教会の敷地を掘り返せれば出て来るのかもしれません」
 とはいってもハリストス正教会の敷地を掘り返すなんてできるわけがない。ゆかりのものでも出てくればいいが、これまでハリストス正教会と土方歳三がつながったという話は聞いたことがない。
 だが誰が火をつけたのか知らないが、噂は広がって行っていた。週刊誌に土方歳三の遺骸が見つかったというセンセーショナルな見出しが躍った。
「これは走り過ぎだよ。土方歳三の遺骸などあるって話じゃないからね」
「週刊誌ですから」
 さっそく取材がやってきた。
「この教会に土方歳三が埋葬されているということですが?」
 司祭は怒っていた。
「誰がそんなことを言ったんですか。この教会にはありません」
「でも信者の間では以前から噂になっていたようですね。司祭はご存知ないんですか?」
「ありません。噂も聞いたことはありません」
 だがいったん火が付いた土方歳三ブームはなかなか消えなかった。テレビ、週刊誌の取材が相次ぎ、中には勝手に教会の敷地内に入り込み写真を撮るものまでいた。そのたびに教会は追い払わねばならなかったのだ。しかしプラスの効果も間違いなくあった。
「教会での結婚式予約は増えたんですよね」
「そこはありがたいけど、痛しかゆしというところかな」
 副司祭は言った。
「土方歳三ブームで、維新幕末展覧会を開催するから正教会も参加してくれって来ましたよ」
「明治維新と正教会は関係ないよ」
「そういわず、正教会の財政事情向上のためにお願いしますよ」
 正教会の財政が向上するのは歓迎だが、土方歳三ブームを正教会が煽ったようで気持ちはすっかりしなかったのだ。
「そもそも、正教会に土方歳三の遺骸が埋まっているなんて、誰が言い出したんだい?」
「信者様のうちの誰かじゃないですか?」
「少々迷惑だよ。礼拝の時間も満足にとれないんだからね」
 夜も更けて司祭は一人で礼拝堂にいた。ろうそくの明かりはかすかにステンドグラスから漏れていた。いつからだろう、司祭は礼拝のときに他には誰もいないはずの礼拝堂の中に人影を見ていた。
 司祭は職業柄、死後の世界のモノに出会うことは珍しくない。出会っても驚かない。それは何かを訴えるために来たのかもしれないし、ただ悲しみを表現するためだけかもしれなかった。だから司祭自身にとってはそれらはたいした問題ではない、じきに消えてしまうからだ。だがこんど来ているものは少々違った。
 彼らは普通であれば、だいたいが白っぽいぼんやりとした塊りなのだが、それはかなり明確な人間だった。司祭が礼拝をしているときにその人間は司祭の背後から司祭を見ていた。なぜ彼がいるのかはわからない。でも何か理由があるのだろうと司祭は思っていた。
 振り返ると男がいた。こんなに近づくのは初めてだった。髪はオールバックで構わず、洋服を着ていて長剣を差していた。写真で見たことがある男だった。微笑んでいるようでもあるが、眼はあまりにも冷たいそれだった。
「土方歳三さんですね」
 司祭は言ったが、男は何も答えなかった。
「私になんのご用ですか?」
 それにも、男は何も答えなかった。少しだけ口角が上がった。そして男は消えた。 
 司祭が男に会ったのはこの時が最後だった。もしかしたら正教会を掘り起こしたら土方歳三の遺骸が出て来るのかもしれない、だがそれはできない相談だった。
「少しだけ掘ってみませんか? 床をちょっとだけ穴を開けて、確認するだけです」
 副司祭の言葉に司祭は答えなかった。
「ダメですよね、やっぱり」
 司祭は夕べの話は誰にも言わないことにした。でも、もしかして何世紀かしてハリストス正教会が建て直すことがあるかもしれない、その時のためには夕べの話を伝えておかなければならない。さてその話は誰にしようかと司祭は思案した。
(了)



posted by 田畑稔 at 10:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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