2019年11月29日

「アンカ」作・田畑稔(no.0169.2019.12.08)

 足元にアンカを入れておいた。
 布団に入ってこれほどうれしいこともない。例えば冬季は布団自体が十分に冷たい。それがアンカを入れておくと温かいことこの上ない。足の裏でアンカを包む。特に冬はそうする。涙が出るほどうれしい。これほどの幸せはないかもしれない。この世にアンカの温もりを味わうために冬はあるのだ。断固そう思う。
 至上の温もりを感じていた男がふと目を覚ました。足は温かかったが、それはアンカではなかった。男だった。着物を着て髪を無造作にくくり、見てくれ侍の格好をした男が両手で自分の足を温めていたのだ。
「すいません。オレの足を暖めてくれてたんですか?」
 侍は口ひげがあり、その口を緩めた。微笑んだのだ。そして消えた。男にとってそれは夢だった、夢だと思わなければとても納得できない話だったのだ。あの侍はいったい誰なのだろう。しかしそれも当然だ。だって、侍の知り合いなどないからだ。
 翌日だった。やっぱり男は寝るときにアンカを布団に差し込んだ。そして両足を十分温めるといつの間にか眠りについていた。そして夜中である。誰かに足を握られているような感じがした。目を開けるとまた、侍が男の両足を握って温めていた。
「毎日のようにすいません。どうしてオレの足を握っててくださるんですか?」
 侍は男の足を握ったままであった。
「オレは他人に温めてもらえる足なんか持ってません」
 もう一度男は言ったが侍は答えなかった。だが少し口元が緩みそして消えた。男は、足を温めてくれる侍の話を会社の同僚に話した。
「人間アンカかい。いいじゃないか」
「だって気持ち悪いよ。何なのかと思うよ」
「何かの祟りじゃないのか?」
「やっぱりそうか。でも何か悪いことしたかな」
「よっぽど悪いことしたんだよ」
 しばらくすると、寝ている間に足を温めてくれる侍は今度は太刀を差して玄関口に座っていた。正座を組み両手を床につけて目を下に落としていた。男が出かけようとしたとき、侍は頭を一回床近くにまで下げ一礼すると、さっと起き上がり玄関口で横を向いてしゃがみ、おもむろに懐から革靴を取り出した。そして靴の先を外に向けて玄関に置いた。ピカピカに磨き上げられていた。男は恐る恐る靴を履いた。
「…靴まで磨いて温めていただいて、まことにありがとうございます」
 侍はその間片膝をついたまま微動だにしなかった。
「今度は靴を懐で温めてくれるって? まるで木下藤吉郎じゃないか」
 同僚は笑った。
「笑い事じゃないよ。朝、玄関にいるんだぜ。一晩ずっといるかと思うとおちおち寝てられないよ」
「でもさ、靴温めてくれるのが木下藤吉郎だとすると、お前は織田信長ってことじゃないか。お前の過去を遡っていくと織田信長に突き当たる? そいつはすごい」
 男は夢を見た。男は松明を持って歩いて進み、そして戦場でに仁王立ちした。男は勝利寸前であった。敵方は兵糧攻めで次々と死者を増やし、ついには降伏してきたが男は認めなかった。捨て身で戦いを挑む者も、逃げ出す者も容赦せずに斬って切り刻んだ。寺に火を放った。火は全てが灰になるまで付け続けた。木片の一つたりも残さず全てが完全な灰になるまで何日でも火を付け続けたのだ。
 男は汗びっしょりで目が覚めた。なぜ自分が寺に火を放ち、門徒たちを皆殺ししなければならないのか。なぜそんな夢を見なければいけないのか。男はしばらく茫然としていた。
「寺を火事にした夢を見たよ」
 同僚は笑った。
「どこの寺に火を付けたんだ?」
「どっかの山の中の寺だ。たくさん死んだ。死んだというより殺した」
「そういうのって、生まれる前、何代か前の自分に何か因縁があったって言うよな」
「そんな因縁は嫌だ。なんとか晴らす方法はないかな」
「夢なんだから、気にすることないじゃん」
 そういわれても男の気持ちが晴れなかった。
 男が会社に行こうと外に出ると、いつもの侍が槍を地面に立てて立っていた。これまでと違う目つきだった。以前より目鼻立ちがはっきりし背も高かった。なによりはかりごとをするのに長けた目に変わっていた。
「お、おはようございます」
 男が挨拶したが、侍は何も言わず立っていた。空いてるほうの手には松明が握られていて、松明からは炎が上がった。男はその松明を高く掲げた。炎で照らされた侍の目が炎と同じように真っ赤になり、不気味に笑った。男は震えた。侍は松明で火を付けようとしていると、そう思った。逃げようとしたが体は言うことをきかず、勝手に突き進んで行った。
「まさか寺に火を付けに行くのか…、オレは嫌だ、火を付けるなんてできない」
 侍は松明を男に渡そうとした。 
「やめてくれ、オレは嫌だ。火事になったら、みんな死んじゃうじゃないか…」
 だが侍が、燃えた松明を男に渡すと、男はそれを受け取り松明を握り町を走った。男を見た者がいるとすると、男の目は松明の炎のように真っ赤だったに違いない。だが男の意識は行動のそれと違った。
「誰か、火を消してくれ…」
 男は通り過ぎる者に懇願した。
「お願いだ、オレの手から松明を取ってくれ!」
 警察官が男を止めようとした。
「おい待て、火を下ろせ! お前何を考えているんだ!」
 警察官やパトカー、消防車が集合した。男は小路に入った。寺の裏門があった。そして意識と反対に手は寺に火を放ったのだ。男は泣きじゃくっていた。ごめんなさいと繰り返し言った。瞬く間に寺は燃え広がり、あっという間に火は大火の様相を呈した。
「おい、放火犯がいたぞ!」
「早く、捕まえろ!」
 警察官の声がした。松明を持った男を追い詰めた。男は警察官に捕まりたかったが、後ろに侍が男を待っていた。背が高くなりはかりごとに長けた目をしていた侍そのままだった。侍は男をドアの向こう導いた。男は震えながら言った。
「なぜだ、なぜオレが火事を起こさねばならないのか…」
 侍は座ってうやうやしく頭を下げると、短刀を取り出し鞘から抜いて手前に置いた。男は震えながら願った。
「教えてくれ。お前はなんだ、オレはなぜこんなことをしなければならないのか。教えてくれ…」
 侍は言った。
「おやかた様、準備が整いました」
「準備? なんの準備をしたというんだ」
 立膝をして下を向いていた侍が顔を上げた。赤く、そして冷たい目をしていた。
「さあ、こちらへどうぞ」
 男が招いたところには畳が一畳敷かれ、抜かれた短刀が置かれていた。
「オレに腹を斬れというのか。嫌だ死ぬなんて嫌だ」
 侍は障子を開け放った。見ると周囲は炎に包まれていた。逃げたくても逃げ道が見つからないくらい燃え上がっていた。
「さあ、おやかた様、どうぞ、見事に果ててくださいませ」
 男の体は意思に反して、侍の言うとおりに畳に座ると腹を出した。男は恐怖に震え、声にならない声を発しながら刃をわき腹に突き立てた。
「お、お前は、なんなんだ…」
 男は声にならない声を発した。侍は言った。
「おやかた様の忠臣、明智光秀にて御座候由」
 侍はそう言うと障子を開け、そして閉めどこかへ消えた。
「そうか、木下藤吉郎かと思ったら、明智光秀だったのか…」
 男は、短刀をわき腹に奥まで突き刺し、真横に引いた。メリメリと裂く音が聞こえた。男は顔から畳に落ちた。その時声が聞こえた。
「おやかた様あ、おやかた様あ、いらっしゃいますか。藤吉郎はただいま到着いたしてございます」
「藤吉郎め、遅いんだよ、いまごろ来やがって…」
 男の体はすっかり炎に包まれた。
(了) 




posted by 田畑稔 at 21:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする