2019年11月28日

「ほらあな」作・田畑稔(no.0168.2019.12.07)

 川で魚が跳ねていた。
 アユまたはマス、少し小ぶりで茶褐色に光っていたからウグイかもしれない。いずれもありきたりな川魚である。それを着物の裾をたくしあげてすくうのも珍しいが、男のヘアスタイルが目が引いた。男の頭にちょん髷が載っていたからだ。どこか場末の剣劇団員かとも思った。しかしあまりに格好が決まってる。着物に帯に、脇に籠びくまで下げてすくった魚を入れていた。まるで本物だ。しかし、剣劇団員がどうして今一人で川魚をすくわねばならにないのか。男は興味深くちょん髷男を見つめていた。
 ちょん髷男のびくがいっぱいになった。川岸に上がるのかと思ったら川の奥に進み、水草の茂る中で消えた。見ていた男は、ちょん髷男を見失わないよう追いかけると、その先に洞穴があった。ちょん髷男はこの洞穴に消えたのかもしれないが、この洞穴の先にいったい何があるのだろう。男は突き進んでみた。
 洞穴は浅い川になっていて、水がちょろちょろ流れていた。洞穴は細い通路だから迷うことはないものの、この先はいったいどうなっているのか。洞穴は鍾乳洞へでも続くのか、それとも袋小路になって行き止まりか、そんな結末が見えていたのだが少し違った。洞穴の先に明かりが見えてきた。洞穴の出口が見えてきたのだ。やっと出口だと、男は勇んで洞穴を出ようとしたら後ろから腕が回って口を押えた。
「静かにしろ」
 男はもがいて、腕をほどこうと思ったが、腕は意外と強く容易に引きはがせなかった。
「静かにしろって言ってるだろ」
 男がおとなしくなるのを見て腕を回した男は手を放し、困ったぞという顔をした。
「後ろを付いてきて何をしようと思ったんだ?」
 その時、洞穴の出口近くで入ってくる光で見えた顔は、川で魚をすくっていたちょん髷男だった。
「何って、ただ後をついてきただけです…」
「お前、オレが川でウグイをすくっていたのを見てたんだろ?」
「面白い頭してるから…」
 ちょん髷男は一つため息をついた。そして洞穴の出口を指して言った。
「そこから先は違う世界なんだ。そのまま飛び出して行ったら服装が全然違う、外国からの間者とみなされ殺されてたぞ」
「違う世界って?」
「100何十年か前、江戸時代の終わりくらいの日本だということだ。オレは現代の人間だ、訳あってこの世界で仕事をしている。このトンネルはタイムトンネルなんだ。時々、穴が開く。きょうはたまたま開いてたんでウグイをすくいに行っていた」
 ちょん髷男は洞穴の奥をじっと見ていた。
「穴はふさがった」
「え? 帰れないんですか?」
「また穴は開くが、それまで待たなくちゃならない」
 ちょん髷男の指導でできるだけ江戸時代に近い格好を作った。男の髪は中途半端に短かった。江戸時代にはちょん髷以外にあり得るとすれば坊主刈りしかない。では、仏門に入ったが修行が厳しくて逃げ帰ってきた半端者という仕草をする。着物はもらったものがあるからそれを着るとして、草履がないから裸足で歩けと指導された。裸足では歩いたことがないと言うとちょん髷男は、江戸時代は貧乏人は裸足が普通だから問題ないと言った。
 男は江戸時代の街並みを初めて見た。時代劇のセットと同じじゃないかと男は思って笑った。
「しゃべるな。現代語と江戸時代の言葉とじゃ全然違う。外国人だと思われるじゃないか」
「も、申し訳けありません」
 目つきの鋭い男たちに囲まれた。
「往来で歯を見せるなんて坊主らしくないな」
「坊主にしては、袈裟も数珠も下げてない」
「お前、ほんとに坊主か?」
 男たちは肩に太刀を抱えていたり、脇に差していた。侍であることには違いなかろうが、なぜ自分を取り囲むのかわからない。男はちょん髷男を振り返ったがいなかった。置いてきぼりになっていた。
「お前、態度がなんとなく違うな」
「坊主じゃ、ないな」
「なんなのかなあ、見たことのない目をしてる。お前、何者だ」
 何者と言われても答えようがない。下手にしゃべるなともいわれているし、逃げたいが何しろ刀差してるやつだしと、男は大いに困った。その時、子供たちがはしゃいで侍の脇をすり抜けていった。彼らがその子供たちに一瞬目を奪われた時だった。男は駆けだした。ここで男の特技が生きた。男が大学時代、駅伝部に所属していたことが幸いしたのだ。追う侍たちを引き離した。
 男は、息を切らせて道端のお堂に逃げ隠れたとき、足に激痛が走った。裸足で走っていたことを忘れてしまっていた。そういえば道端の石ころを何個か踏んだことを思い出した。足の裏から出血していたのだ。
 男が現れた。股引に草履、着物の裾をたくし上げて十手を構えていた。岡っ引きが現れたのだ。取り締まられる、逃げようと思ったが無理だ、走れなかった。男は観念するしかなかった。
「また会ったな」
 見ると、ちょん髷の男だった。ちょん髷男は岡っ引きだったのだ。
「どこへ行っちゃってたんですか、探しましたよ」
 岡っ引きは声を潜めて言った。
「未来から来た人間というのは、たとえ息をしていても世界を変えるということを、意識しておかなくちゃな」
「そもそも、岡っ引き、さんでいいんですか? 岡っ引きさんはなぜこの時代に来てるんですか?」
「それは、秘密だ」
 男は岡っ引きについて行った。往来する人が多いのに男は驚いた。男、女、侍、子供、荷物を担いだ商人、外国人も混じっていた。
「人が多いですね。江戸時代って人が多かったんですね」
「車も電車もないからな、みんな歩くしかない」
 男は川端に差し掛かった。
「ここはどこなんですか?」
「川崎宿から進んだ生麦というところだ」
「生麦か…」
 道端には料理屋、宿があり、呼び込みが盛んだった。道を進んでいくと、ちょっとした人だかりができていた。馬が何頭か歩き、いずれも人が乗っていた。馬も大きく騎乗の人物たちはみな大柄でなおかつ西洋人だった。彼らは軍服を着、女はドレスを纏い帽子を被り、あたりを見下ろすように毅然と行進していた。
「いいかよく聞け。今からここで事件が起こる。オレたちの仕事はある人物を助けることだ」
「オレたちって、オレもですか?」
「そうだ、やるんだよ。巻き込まれてしまったからな」
 男は、少し前に言われたことを思い出した。
「時代を変えちゃいけないんじゃなかったんですか?」
「そうだ。変えちゃいけない。だから正常に戻すのが、オレたちの仕事だ」
 外国人たちが騎馬で行進していた時、反対側から大勢の侍が隊列を組んでやってきた。すると外国人たちは侍の隊列の中、そのまま突き進み、もみ合いになった。侍たちの中には太刀を抜くものも現れ、怒声が起こった。騒然となったのだ。そしてついに銃声が聞こえ、女が悲鳴をあげた。
「ついてこい!」
 男は言われるままに岡っ引きについていき、もみ合いの渦中に入り込んだ。西洋人たちは仲間が斬られたことに逆上し銃を何発も撃ち、侍たちは太刀を抜いて立ち向かった。その時、大柄な男が太刀を抜いて挑みかかったところにちょうど銃口が向けられた。撃たれると思った瞬間、岡っ引きは太刀を構えた男の腰ひもを引いた。放たれた弾丸は太刀で挑んだ男をかすめた。岡っ引きと男はそのまま太刀を構えた男を引きずるように引き下げ、騒ぎから遠ざけた。
 騒ぎの中で西洋人の一人が斬られて死亡し、ケガ人が多数出た大事件となったのだった。岡っ引きは安どの表情を浮かべた。
「なんとかうまくいったな」
「引っ張った男は誰だったんですか?」
「あそこで死んじゃいけない男だったんだよ」
「誰ですか?」
「西郷隆盛」
「えー! あの有名あ西郷隆盛ですか。西郷がなぜあんなところに?」
「実は今まで知られていなかったが、薩摩藩が上洛したあと東上し生麦事件に遭遇した。その軍勢の中に若い西郷がいたことがわかった。彼はここで死なないのが歴史だ。次へ進まなければならない」
 男は、ものすごい歴史の渦に巻き込まれてしまっていたのだ。岡っ引きは次の出立の準備をしていた。
「次はどこへ行くんですか?」
「何年かあとの品川だ。西郷には無事に頂上会談をやってもらわなければならない」
「会談するんですか。じゃあ大丈夫ですね」
「ところが簡単ではない。西郷の入城を阻止しようという連中はたくさんいる」
「誰と会談するんですか?」
「決まってるだろ。勝海舟だよ」
 男は品川宿に入った。宿や飲食店はそこそこあるものの、決して大きな宿ではない。だがそこは誰にでもわかるくらい殺気がみなぎっていた。宿はそれを察して、誰も客引きなどに現れなかった。
 岡っ引きは周囲を探った。だが、ものすごい殺気と裏腹に西郷が来宿しているという情報はつかめなかった。
「どうでした?」
「西郷はいない。歴史上は、西郷は品川宿に入りそして江戸城に上ることになっている」
 岡っ引きと男が入っていた宿に、目つきが鋭くものすごい殺気を漂わせた男たちが入ってきた。
「お前たちか、西郷の江戸城入城をお膳立てしていた連中というのは」
 岡っ引きは部屋の隅に追い込まれていた。
「残念だが、西郷は死んだよ。オレたちが殺した」
 もう一人の男が言った。
「近藤先生。話すのもめんどくさい。さっさと斬っちゃいましょう」
「では土方、お前に任す」
 岡っ引きは袈裟掛けに一太刀をあびて絶命する間際に言った、どこかで歴史が狂っちゃったなと。
 洞穴を抜けてきた男は、駅伝部だった走力をいかんなく発揮した。死に物狂いで走って、出てきた洞穴に飛び込んだところ、うまい具合いに洞穴は現代に通じていた。帰って来られた。
(了)

 
posted by 田畑稔 at 21:51| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「ロッキングチェア」作・田畑稔(no.0167.2019.12.06)

 男はまどろんでいた。
 秋の日差しはもはや強くなく、気温も風も中庸でしかも昼食のあとなら無理もなかった。男はベランダに出てロッキングチェアに場所を取り、幸せな顔をして浅い眠りを迎えていた。
 男はついに理想を手にしたのである。男の理想とは、仕事を総て終えそしてリタイアし、木々に囲まれた西洋風の住宅を構え午後のまどろみを過ごすことであった。そして必要な小物として、鳥打帽とパイプはリタイアした男にとって必須であった。そしてパイプをくわえる口元の白く枯れたヒゲであったり、オーバーオールのジーンズであったりを付け加えた。もちろん、午後のティーも必要だった。これで必要なものはそろった。あとは時たま知人が訪れたり、一緒に食事をし、お茶を飲んでくれればいいのだ。文句のつけようのない理想のリタイア生活であった。
 知人の女性がやってきた。女性は一回りくらい年下の未亡人だった。未亡人になった理由は知らない。だが女は胸も腰つきも肉付きがよく実に魅力的であり、男は女を密かに気に入っていた。彼女も男のことをまんざらでもなさそうなのだ。年上の少し老境に入った男が好みだったのかもしれない。それともこの男そのものが好きだったのかもしれない。
 男は目を覚ました。
「ごめんなさい。起こしちゃったかしら」
 男はロッキングチェアから体を起こした。
「なんのなんの。来てくれてうれしいよ。何か用かな」
「四葉のクローバーを見つけたんです。珍しいなと思いまして」
 丁寧に植木鉢に植えられた四葉のクローバーだった。
「ありがとう。うれしいよ。この年になると、小さな幸せってものにエラく感じ入るんだよね」
「それはよかったわ。晩ご飯の予定はあるかしら」
「まだ、だけど」
「ちょっと考えがあるんです。楽しみにしていてくださいね」
「それはうれしいね」
 彼女が晩ご飯の準備をしてくれるらしい。今夜は格別楽しい夜になりそうだと男は思った。
 女が帰ると、屈強な男がやってきた。屈強な男は木こりである。木こりだから屈強な体になったかもしれないが、胸から肩、二の腕のあたりの筋肉が素晴らしい。
「きょうは何かね?」
 屈強な男は言った。
「探していた栗の木が見つかりました」
「おお、そうか! ありがたい。船は作ってもらえるのかな?」
「船大工がいますので、作ります。待っていてください」
 男は湖に浮かべるボートを造りたくて、ボートに適した硬い木材を探していた。木こりの男に話をしたら、栗の木がいいが少ないので見つかったらお知らせしますと言ってくれていた。もちろんそれは第一の理由だったが、男は知っていたのだ。木こりの男は未亡人に心を寄せていた。だから男は純粋に二人は結ばれないかと考えていた。そのためなら少し骨を折ろうじゃないか。もはや自分のことでなく他人の幸せを願う、そういう境地に達していたことに男は悦に入ってた。自分は幸せを運ぶキューピットだ。それを全部ひっくるめて幸せというのだろう。黄色くなってきたイチョウの葉からこぼれる日差しに限りない幸せを感じていた。
 警察官がやってきた。
「大事なお話があります」
「何かね?」
 警察官は、男に窃盗容疑がかけられていると言った。
「何かの間違いだ。私は窃盗をなんてしない、考えたこともない」
「目撃者がいるんですよ」
 男は強く否定した。
「誰が見たというんだね。そいつをここに連れて来てくれ、私の窃盗を見たという人間を」
 警察官は言った。
「いい家じゃないですか。まだ建てて間もないんでしょう?」
「ああ、そうだ。私の終の棲家だ。何年もかかって建てた自慢の家だ」
「だから、正直に言えばこの家に住み続けられますよ。寛大な処置をお願いできます」
 男は強く否定した。
「正直に言うも何もない。窃盗なんてやってない。絶対にやってないんだから」
 警察官は一息ついて、諭すように言った。
「あなたは高齢だし、社会への貢献もなさって来た。そのあなたに手錠を掛けたくはないんです」
「何度言われても同じだ。私は窃盗なんかしていない」
「では証人をお呼びします」
 現れたのは、男のお気に入りの未亡人だった。
「窃盗はいけないことよ。警察官の言う通りになさってください」
 男は言った。
「何をいうか、私は窃盗なんかしていない。いい加減なことをいうな」
 次に現れたのは屈強な木こりの男だった。
「私は何もしていないよな。湖を走るボートを注文しただけだ。なあそうだろ、証言してくれよ」
 屈強な男の顔は曇った。
「警察官の指示に従うべきです」
「お前も、私が窃盗をしたというのか」
 警察官は言った。
「わかりましたか? あなたの罪は明白です。従ってください」
 男は両手で頭を抱えていた。顔面は蒼白だった。警官が男の手を引こうとしたとき、男は警察官の腰のホルダーから拳銃を抜き取り警官の頭目掛けて引き金を引いた。数発は撃っただろうか。警察官はもんどり打って倒れ、それきり動かなかった。男は自分のやったことが理解できているのかいないのかわからなかった。ただ虚ろな目をしていた。もしかして眠っていたのかもしれない。ロッキングチェアに座ったまま、木洩れ日を浴びて、薄い呼吸を続けていた。それだけだった。
 未亡人の女がやってきて言った。
「どうしてもこういう結末になっちゃうのよね」
 木こりの男が言った。
「これでまた、元に帰る。どうしても自分が窃盗をしたことを認められない」
「認められないのよ。誰でも自分が生きた人生を肯定したいものよ」
「やり直しか。辛いが、仕方がないね」
 男は、無限のループにはまり込んでいたのだ。そこから脱出するには、違う結末を迎えること以外ない。だが男はまた同じ因縁のループに戻ることを選んだ。男はロッキングチェアに沈んでオーバーオールのジーンズに鳥打帽、白い髭を蓄え口元に葉巻をくわえ微睡んでいた。男が体を起こすと、魅力的な体形をした女が言った。
「ごめんなさい。起こしちゃったかしら」
 男はロッキングチェアから体を起こした。
「なんのなんの。来てくれてうれしいよ。何か用かな」
「四葉のクローバーを見つけたんです。珍しいなと思いまして」
 男のいつもの日常がいつものように始まっていた。
(了)



posted by 田畑稔 at 17:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする