2019年11月25日

「蓮沼」作・田畑稔(no0162.2019.12.01)

 沼は蓮の葉に覆われていた。
 その葉の間を縫うように、小さなボートが見え隠れしていた。レンコンの生産者が漕ぐボートだった。男は日がな一日、レンコンを抜いて茎を切る長いハサミを沼に差し込んでいた。見物していた暇な男たちが話していた。
「冬にたいへんだ」
「レンコンだもの、どうしても冬の作業になっちゃうよな」
「食べるのは楽だけどね」
「からしレンコン。あれ好きだなあ」
 男たちは、沼から出て泥を払っている男を見た。見るからにイナカの農民だったが、少し前まで東京の先端企業の仕事をしていたという。
「あれだろ? IT企業の社長だったというやつは」
「社長でなく、投資家だって話だ」
「どう違うの?」
「収入が違うよ、違うんだろな。全然違うんだよ、そうだよ」
 世間の噂は本当だった。男は東京のIT企業の投資家だった。ITに関しては的確な投資をし投資家たちに着実に配当させていた。その男がなぜ急に蓮の群れ咲く沼でレンコンを掘らねばならなくなったのか。空気のきれいな緑の中で暮らしたいとか、本当は農業で暮らすことが合ってるとかいろいろ言っていたが、周囲の者には理解が難しかった。
「ここの蓮の葉って大きいだろ?」
「大きいね」
「お釈迦様が乗って座る蓮の葉って、こういうやつだって」
「そうなの」
「お釈迦様が見たいんだって」
「誰が?」
「あのIT投資家がだよ」
「お釈迦様に会うために、それで高給取れる仕事辞めてきたんだって」
 推察は正しかった。高給取れる仕事を投げ出してもレンコン掘りに転職したのは、本当にお釈迦様が降臨すると聞いたからである。実は男は仏教大学に進学し、そこで仏教思想を学んだ。理由は特にないだが、母親が法華経を信仰していたこととも関係あるのかもしれない。だがそれはたいした理由ではない。しかし男にとって、IT企業のほうがもっと遠いところの現実だった。IT企業の投資業務をすることのほうが男にとって特殊な偶然の結果だったのだ。
 男は時々、大きな蓮の葉に乗って休む。普通であれば釈迦は空から降りて来て蓮に座り、半眼で瞑想するのだろうと思う。だが蓮の葉に乗って半分目を閉じるとわかる。釈迦は蓮が群生する沼の中から起き上がって来る。たぶんそうだ。男はそう感じていたのだ。そう思って半眼で瞑想するのだが、まだ釈迦は一度も現れてくれない。
 男は、仏教大学で学んだ知識を生かして町の人に仏教思想を教えていた。それがなまじの坊主より分かりやすいということで評判になっていた。
「知らなかった。お札の単位、万、億、兆…そらからなんだっけ?」
「京、ガイとかなんとか…」
「それって仏教用語なんですってね」
「それからあれ、お釈迦様が死んで、乱れた世の中を救うために弥勒菩薩様が現れるのが56億7000万年後だって。遅すぎる、もっと早く来いだって」
「その通りだわ」
 男がレンコン掘りをしていた時だった。後ろの蓮の葉がざわついた。風なのかと思ったが風はなかった。後ろは何もなかった。男は掘ったレンコンの一部を無料で使ってくれと町の食堂に卸した。予想外に収穫があり、新鮮なうちにということだった。食堂はレンコンでいくつかの料理を作り子供や老人に配った。
 またレンコンを掘っていた沼で音がした。沼に入った誰かが蓮の葉をかき分けたのかと思ったが、音はしたがそこには誰もいなかった。男は少しそんな気がしたので声をかけてみた。
「お釈迦さまですか? そこにいらっしゃったのはお釈迦さまですか?」
 何も返事はなかった。男は家庭の事情で勉学が遅れがちな児童に、無料で塾を開いた。子供たちも、男の教える仏教思想が面白いのだった。
「先生が言うには、お釈迦さまってずっと菩提樹の下で風呂も入らず座禅してたから、たぶん臭かったって」
「先生が言うには、お釈迦様がインドにいたころは字が読める人のほうが少なかったから、ボクたちの勉強のほうが進んでたって」
「先生が言うには、お釈迦様がインドにいたころは普通に道端で人が死んでてハエがたかって、今のほうがずっと衛生状態がよかったって」
 男が蓮の沼でレンコンを掘っていたときだった。エヘンと誰かが咳払いをしたような音がした。注意を促すような、そんな咳払いだった。そういえば塾で子供たちに座禅をしていた釈迦は臭いとか、昔のインドの人は字が読めなかったとか、昔のインドは死体がゴロゴロしてたとか言ったのが気に障ったかなと男は思った。
「お釈迦様。悪口言ってごめんなさい」
 男はそう言ったが、何も返事はなかった。男から仏教思想を習っている女性たちがやってきた。
「先生!」
 男は蓮の沼からはい上がった。
「町長さんがお話があるんですって」
「なんのお話ですか?」
「町長もお札の数え方教えてもらいたいみたい」
 女性たちが笑った。まさか町長がと思った。行ってみると、町民や子供たちに無料で勉強を教えてくれていることや、食事のサポートをしてくれていることで表彰をしたいとのことだった。
「町の人は、慈悲深いお釈迦様のようだと言ってます」
 男はまた蓮の沼に入ると意外なことが起こっていた。蓮の花が咲いているのだ。季節は冬。通常なら蓮の花も、真ん中にあった蓮の実も落ちてしまった季節であり、花が咲くということはありえなかった。
 季節外れの蓮の花が咲いたことはすぐに広まった。町の外からも大勢押し掛けたのである。
「先生ですか? 蓮を咲かせたのは」
「お釈迦様が咲かせてくれたんでしょうか。先生の行いが立派だから」
 褒められるのはうれしいが、見物客が多すぎてレンコンの収穫ができなくなってしまった。
「慌てなくていいですよ。花が落ちたらまた掘りましょう」
 早朝なら収穫できるかなと、男が沼に立った。その時誰かが沼から上がったのだ。しかしそういう音はするが姿は見えなかった。蓮を押しのけて沼を歩く音、そして蓮の葉に乗った。音はしないがそういう動作はわかった。蓮の葉が誰かが座っているようにへこんだからだ。そして止まった。瞑想しているのだろう。男にはそんなふうに感じた。
「お釈迦様ですね。お会いできてうれしいです」
 男は言ったが返事はなく、ただ青空の元、静かな瞑想があった。
(了)

 
  
posted by 田畑稔 at 11:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする