2019年11月24日

「ルフトハンザ」作・田畑稔(no.0161.2019.11.30)

 ルフトハンザが上昇していった。
 ルフトハンザは機体を見るとすぐわかる大きなロゴと尾翼の鶴が有名だった。地上を通過するとすぐにわかった。男はルフトハンザ航空の地上職員を長く勤めた。そして定年退職の寸前まで到達した。ビルの谷間からルフトハンザ機を見ると誇らしかった。新婚旅行も毎年の休暇もルフトハンザを使った。割引が利くのだろうと他人は言うが、シーズンオフはいいとしても混雑時は社員のリザーブは後回しにされる。社員でもどうしてもという時期には通常料金を払ったものだ。
 地上職もちろん、ルフトハンザの職員、CAであってもほとんど知らない人間はない、たいてい顔をみればわかる。すれ違えば微笑む。半分義務なのかもしれないが、ルフトハンザの職員はよく笑う、よく微笑む。それに女性CAは美人が多かった。男にとっては給料で得られる以上をルフトハンザではもらった、そう思っていた。
 その女は職員用のカフェにいた。どこか見覚えがあった。果たして誰だったろう、ルフトハンザの職員は国内であれば日本人が多いが、だとすればほぼ誰なのかわかるはず。見たことはあるのだが、かなり以前に会ったことがあるかもしれない、そんなふうに思った。
 男はオフィスでは仕事もするが、退職に向けて身辺整理をやらなければならない、そんな環境にあった。オフィスの奥で書類の整理をしていたら、その女はいた。職員しか入れないエリアにいたからルフトハンザの職員だろう。傍らの職員に尋ねた。
「あの女性、誰かな? ルフトハンザの人みたいだけど」
 職員は、クリーム色のスーツを着た女性を見て言った。
「あの方が、なにか?」
「ルフトハンザの人みたいだけど、どこの部署かなと思って」 
「わかりませんねえ。あの方がどうかしました?」
「いや、なんでもない。少し気になったから」
「きれいな方は気になるのかなあ」
「そういうわけじゃないよ」
 職員はいたずらっぽく笑った。男はもう退職の挨拶回りをしなければならなかった。会社の者たちと談笑しているとき、高層ビルの上空をルフトハンザ機が爆音を立てて過ぎ去り、ルフトハンザの社員たちは言葉を止めて見上げた。
「最新鋭機は音が違うね」
「ただ爆音でなく、金属音がするね。戦闘機みたいだ」
「最近の旅客機は戦闘機の性能だよね」
「すごい世の中になったもんだ」
 談笑していたら、あの女がオフィスの向こうに見えた。
「失礼ですが…」
 女が振り向いた。
「なんでしょう」
「私はルフトハンザの職員です。私はあなたをどこかで見たことがあるんです。どこでお会いしたかなあと思って」
 女は首を傾げた。
「私はルフトハンザの本社から配属されてきました。お会いした記憶はありませんが」 
 男は時々飛行機に乗っていた夢を見る。それは昔、日本が優秀な戦闘機を誇っていた時期だ。レシプロエンジンだから現代とは比べ物にならないスピードである。だが操作性は十分だった。世界に誇る性能だったのだ。男はルフトハンザでパイロットの経験はない。あればよかったと思うこともあるが、夢のなかでは十分に大空を疾走するパイロットだった。夢にいつも女が出てきた。女はいつも戦闘機を見送ってくれた。女はモンペに割烹着、頬かむりで男を鼓舞し戦いを鼓舞した。
 男はあいさつ回りをしていた。
「ルフトハンザにいながら、夢で見るのはいつもゼロ戦なんですよ」
「日本人だなあ」
 男の友人は話を続けた。
「やっぱり戦闘機に憧れて、この業界に入ったという人は多いですよね」
「男ならね」
「憧れは?」
「ドイツ機だから、メッサーシュミットかな」
 女が、わざわざ男のそばに歩み寄ってきて言った。 
「あたし、思い出したことがあるんです。あたしの祖母は戦争中、戦闘機が飛び立つのをいつも見送っていたそうです」
「私の祖父も戦闘機のパイロットでした。だから私も戦闘機に乗っている夢を見るんです。夢の中では私は祖父にのりうつっているんだと思います」
「では私の祖母とあなたの祖父は、どこかでお会いしたかもしれませんね」
 男は定年のお祝いにと、会社がチケットをくれた。まだまだルフトハンザには乗りたいし乗るのだろうが、こんな素晴らしい贈りもは初めてだった。ルフトハンザは意外とケチである。それがルフトハンザ社員の常識ではあるが、それでもみなルフトハンザを愛していた。
 乗客の中に女がいた。しかも隣の席だった。
「会社のチケットはだいたい、最後部あたりですね」
「そうですね。あなたは?」
「研修がありまして」
「じゃ、旅費は?」
「タダです」
 それは珍しいと、二人は笑った。その時、男の眼前にはゼロ戦が輝く航跡を残し着陸した。降りてきたのはパイロット姿の祖父。温かい笑みを浮かべていた。夢かと思って目をしばたいた。だが祖父はやっぱり笑みを浮かべていた。
「おじいちゃん!」
 祖父の横には着物を着た若い女が、同じように笑みを浮かべていた。祖父は女をゼロ戦に乗せて二人は飛び上がって消えた。二人は最後に手を振っていた。しかし行く手は敵艦船が迫っていた。男は、危ない!と声をかけたがゼロ戦はなんのためらいもなく敵艦船に飛び込んだ。
「どうかしましたか?」
 女は男が倒れたのかと思った。男は覚醒した。
「不思議な光景が…。夢です。気圧が変わって一瞬気を失ったようです。恥ずかしいです、航空会社の社員が。もう大丈夫です」
「そうですか、それならよかったです」
 ルフトハンザは順調に飛行を続けた。事故が少ないことで知られたルフトハンザにもまさかと思う誤りはあった。洋上の巨大客船に体当たりするように飛び込んでいった。
(了)



  
posted by 田畑稔 at 18:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする