2019年11月21日

「東條さん」作・田畑稔(no.0156.2019.11.25)

 物静かな老人であった。
 池に釣り糸を垂らすだけが日課の老人は、常に下駄ばき、ネルのシャツに丹前を重ねていた。そして頭は坊主、丸い縁の眼鏡をかけ、本人が名乗ったのではないが皆から東條さんと呼ばれていた。
「東條さんの子? 東條さんは亡くなってるわよね」
「そう、だから子供なのかしらねえ」
 東條さんは自ら一度も名乗ったことはないのに、いつのまにかあの有名な軍人、東條さんの息子にされていたのだ。だが本人は否定もしないし、もしかしたらそんな噂など耳に入ってなかったかもしれない。それくらい静かな日常の中にいた。しかし、口さがない噂がなかったわけではない。
「ほんとに東條さんの息子かしら」
「そうよ。東條さんがこんな田舎にいるかしら」
「そうよ、名前が東條さんというだけよ」
「しかもただの猫好きの」
 東條さんにはいつも黒い猫が寄り添っていた。だから単なる猫好きの老人だろうというわけなのだ。ところがやっぱり東條さんは本物ではないかという噂もあった。
 東條さんの家に出入りしている仕立て屋という人物がいて、東條さんの家に仮縫いで上がった時に見た洋服はどう見ても軍服だった。
「軍服を仕立てたというわけ?」
「凛々しかったそうよ」
 再び、東條さんは有名軍人東條さんの子息だという意見に傾いてきた。さらに郵便局員がその噂を補強した。東條さんの家に書留を届けた郵便局員は話した。
「書留が来たんですよ」
「どこから」
「巣鴨ってなってたんですよ」
「面白いけど、それ言っちゃっていいの? 郵便で見たことは秘匿にしておかなきゃいけないんじゃないの?」
 大人たちには偏屈な爺さんという意見もあったかもしれないが、子供たちはそうではなかった。釣り糸を日がな一日垂らしている東條さんの傍に平気で寄って不躾にも話しかけるのだ。
「おじさん、釣りばかりしてて飽きない?」
「少しはおいしいものも食べたいでしょう、こんどお菓子もらってあげようか?」
 そして大人が噂してる東條さんの出自のこともずばりぶつける。
「おじさんて、有名な軍人さんなんだって?」
「軍人さんて戦争に行く人?」
 夜になると不気味な音が聞こえるという噂が立っていた。住宅地にその音がした。ザッザッと重いブーツで行進するような音だ。つまり軍靴の響きであった。それも一人の足音ではない。何人もの大人の重い軍靴の音が鳴った。誰が聞いても重く暗い音だった。子どもや女性などは、軍靴の音で眠れないと訴える者が相次いだ。
「外に出て見たの?」
「嫌だ、怖くて見られないわよ、あたし」
「この町だけ戦争が終わってないみたいで、嫌だわ」
 ラジオの音が聞こえてきた。しかもずいぶん古いラジオの音だ。戦争中、戦況を伝えたラジオの音声だった。しかもそれも夜明け近くだけであった。
「なんでそんなラジオが聞こえるの?」
「戦争はとっくに終わってるのにね」
 ある日東條さんの家から、軍服を着て制帽のつばを深めに下ろした凛々しい軍人が出て来て、車の後部座席に腰を下ろした。古いフォード車だった。淡い絹の着物の夫人が深々と頭を下げて見送った。
「ほら、東條さんよ」
「やっぱり軍人だったのね」
「凛々しいわ」
 東條さんは、軍人さんの息子なんかではなく軍人そのものではないかという噂が流れた。
「軍服来て、奥様が見送って大きな車に乗り込んで行く。軍人さんそのものじゃない?」
「軍人東條さんて死んだんでしょ。絞首刑になって」
「絞首刑?」
「そうよ、戦争犯罪人よ」 
 それでは東條さんとは誰なのか。ただ軍人東條さんとなんらかの関係のある人であることは間違いない。東條さんは池に釣り糸を垂らしていると子供たちが寄ってはしゃぐ。
「おじさんていつも同じ着物よね」
「このあいだ服着て出かけてたでしょう。大きな車に乗って」
「いいな、あたしも車に乗せて」
 東條さんは、再び制服制帽の身を包み、夫人はじめ何人もの女性の深々とした挨拶と兵士の敬礼の中で車に乗り込んだ。ただ、兵士たちは日本人ではなかった。腕の腕章にはMPと文字が刻まれていた。数日後、東條さんは死刑に処せられたと報道された。
「東條さんは処刑されたのね」
「いい人だったのにね」
「処刑の理由はなんなの?」
「なんなのかしらね」 
 東條さんが再び池で釣り糸を垂らしていた。東條さんが帰ってきたと子供たちははしゃいだ。
「おじさん、お帰り」
「どこへ行ってたの?」
 東條さんの丸縁の眼鏡と丹前はそのままだった。
「よかったわ。東條さんもそのままで」
「よかったわよ。軍靴の響きなんてしなくなったしね。でもMPの足音はしてるわ」
「空は清々しくなったけど、なにか昔に戻ったみたいね」
 町には「りんごの歌」が流れていた。
(了)

 
posted by 田畑稔 at 21:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「小坊主」作・田畑稔(no0155.2019.11.24)

 小坊主がやってきた。
 法事で坊主を呼んだら、やってきたのは五人の小坊主だった。なんとも可愛い坊主だった。年の頃は10歳にも満たないだろう。だが剃髪は青々と、おろしたての真っ白い足袋を履き袈裟までしっかり纏っている。そして小坊主たちは座るなり声をそろえてお経をあげた。
「しっかりした小坊主さんたちだこと」
「お経がぴったりそろってる。子どもとは思えないね」
 だが気づいたのは、彼らはよく似ていたこと。背格好もそっくりだった。
「兄弟どころじゃない。一、二、三、四、五。五つ子か?」
「五つ子だってさ、珍しいねえ」
 そして小坊主たちは五人並んでお布施をいただいた。お布施をもらうときは横一列に並んだが帰るときは縦一列に進んだ。
「あの小坊主さんたちは?」
「最近評判だよ。所作はきびきびしてるしお経は上手にあげるし、とにかく可愛いし」
 世間はかまびすしい。
「小坊主のくせにお布施は一人前にもらうんだね」
「小坊主でも、もらうものはもらうと」
 ある会社の現場では大工たちが汗を流していた。員数はねじりはちまきの五人だった。
「墨つぼ引いとくれ」
「よっ!」
「カンナかけたかな」
「よいさ」
 五人目が加わった。
「ほいさ!」
 全く同じ顔をしていた。保育園で新任の保育士さんたちが子供たちと遊んでいた。
「メリーさんのヒツジ」
「ヒツジ」
「メリーさんのヒツジ」
「かわいいな」
 五人目が加わった。
「字余り」
 彼らも同じ顔だった。ある商社で懸命の営業会議をしていたのは仕立ての良いスーツで固めた五人の営業マンだった。
「販売成績を上げたいからといって、賄賂まで払うというのはどうかな」
「必要な場合もあるよ」
「一度払っちゃうと、うちの会社からは賄賂がもらえるものだと、相手は思うものだぞ」
「実情を無視してるね。払うときは払わなきゃダメだということだよ」
 五人目の営業マンが論争に加わった。
「オレたちも賄賂もらっちゃおうぜ」
 顔がそっくり同じ五人組がよく働いているということが知れ渡っていた。建具屋から保育園から商社であってもどこでもだった。少し変わった五人組、大方は彼らの素性に気付いていた。
「ほら、この地蔵さんだよ。五人いるだろ?」
「ほんとだ。顔がおんなじだ」
 町はずれの河原に地蔵は五人並んでいた。そして一体の地蔵だけ横向きだった。
「仲違いしちゃったかな」
「いろいろあるんだね。子供だからかな」
「すぐ仲直りするよ」
 その次の日くらい、地蔵は同じ向きになった。地蔵はさっぱりとした性格なのだ。だから地蔵たちはいつも五人、彼らはいつも同志なのだ。
 大雨が降り山間部で土砂崩れが発生した。生き埋めが起こり、大事件として報道された。もちろん五人も救助に参加していた。夜を徹して土砂の下から懸命の救出作業が続いた。だが雨は降り続き救出作業も疲労を濃くしてきた時だった。増水してついに堤防が決壊し、川に転落した者がいた。
「流されたぞ!」
 絶叫が響いた。
「流されたのは誰だ!」
「五人組のようだ」
 地蔵だった。きょうは町の一大事と、土砂崩れの現場に駆けつけていたのだが、うち一人が増水して決壊した川に転落した。
「飛び込んだぞ!」
 五人組の誰かが、溺れる仲間を助けるため濁流に飛び込んだ。それだけではなかった、他の仲間も次々と濁流に飛び込んだのだ。五人は浮き沈みしながら濁流にもまれて消えた。
 しばらくして町の人は気づいた。河原の地蔵はなくなっていたのだ。
「可哀そうなことしたよな」
「頑張って仕事していたのにね」
 人々は地蔵を悼み、再び地蔵を立てようという話になった。町の人は水害も著しかったから苦労したが、なんとか小さな地蔵を建立できるくらいの費用は集まった。
 開眼式には大勢の町の人が集まった。予算の関係上、以前よりは地蔵は小さかったが、顔が整っていると町の人の評判だった。
「あれ?」
「あれはもしかして…」
 小さな小坊主が列を作って歩いていた。以前よりさらに小柄な小坊主だが、とても整ったきれいな顔立ちをしていた。そして法事に現れた小坊主たちは見事にそろった読経を披露した。もちろん、お布施を受け取ることもしっかり忘れなかった。
(了) 



posted by 田畑稔 at 10:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする