2019年11月04日

「正教会」作・田畑稔(no.0135.2019.11.04)

 正教会の空は晴れ渡っていた。
 タキシードの花婿とウェディングドレスの花嫁は最後のセレモニー、花嫁のブーケトスが行われた。幸せいっぱいの花嫁がブーケを放ると女性が勇んで受け取った。明るい悲鳴が上がり、正教会はあたたかい拍手に包まれた。北国の小さな正教会は結婚式の予約は毎週日曜日に一組しか受け付けない。正教会はあたたかいもてなしを旨としており、そして正教会の本来の役割を忘れたくないという理由もあって週に一組と決めている。結婚式の参列者がみな去り音を立てるのは枯れ葉のみ。司祭はそれを掃き集めていた。
 人の気配がして司祭が振り返った。女だった。
「あたしの結婚式は終わりましたか?」
 司祭が訝った。
「結婚式は終わりました。みなさん帰りましたよ」
「もうないんですか?」
「きょうはもうありません」
 女は訴えるように言った。
「明日は、明日の結婚式はありませんか?」
 司祭は女に近寄って言った。
「結婚式は毎週日曜日だけです。ご予約の方ですか?」
「予約はしてません。でもこの教会で結婚式をしようって彼は言ったんです」
 司祭が言った。
「予約はだいぶん先まで埋まってますが」
 女は肩を落として去った。次の日曜日にまた女はやってきた。
「あたしの結婚式は終わったんですか?」
 司祭が答えた。
「きょうはもう終わりました。今度の日曜日にまた結婚式はありますが、でもその日はあなたの結婚式ではありません」
「ではいつですか?」
「あなたの結婚式の予約は入ってません」
「でも彼はここで一緒に結婚式を挙げようって言ったんです」
「一度帰って確認したらどうでしょう」
 翌週日曜日にまた女は現れたので、司祭は聞いた。
「あなたの婚約者は、いつ結婚式を挙げようと言ったのですか?」
 女性は考え込んでしまった。
「では婚約者のお名前を教えてください」
 やはり女性は答えられなかった。
「覚えてないんです。ただ覚えていることは、この教会で結婚式を挙げようと言ったことだけなんです」
 司祭は言った。
「ここは正教会といいまして、カソリックでもプロテスタントでもありません。正教会となんらかのつながりがある人しかここでは結婚式を挙げられません。あなたの友人に正教会に関係ある方はいらっしゃいますか?」
「あたし、交通事故に遭って、そのあとのことがわかりません…」
 女は黙り込んでしまった。北国の冬は早く、もはや手がかじかむくらいに冷え込んでいた。女はコートの襟を立て首をすくめて立ち去った。木枯らしが女の足元に舞っていた。
 司祭は警察署に行った。
「交通事故で頭を打った女性? ここ数年でいいんですね。すぐわかりますよ。小さい町ですから」
「お手数かけます」
「いませんね。亡くなった人ならいますけど。いちおう教えておきますか? 男性ですけど」
「男性ですか?」
「ええ、事故で頭を打って亡くなってます。でも関係ありますか?」
 司祭は晴れた日の教会の中庭に下りた。庭では教会の奉仕の人々が枯れ葉を掃き集めていた。司祭は奉仕作業をしている一人の男の肩をポンと叩いた。男は気付いて司祭を見てぺこりと頭を下げた。
「あなただったんですね」
「はい、気付きましたか?」
 男はバツが悪そうに、首に巻いている手ぬぐいを外した。
「気付いてましたよ。この世の人ではない人がいるなあって。でもあの女性の婚約者だとは思いませんでした」
 男は死者である。亡霊といってもよい。婚約者とともに交通事故に遭い、男だけが亡くなったのだった。そして男は死してなお愛する婚約者と別れがたく地上に現れた。そして女の元にたどり着いた。だが事故で記憶を喪失していた女は男を思い出せずにいた。思い出したのは結婚を約束した男がいるということと結婚式を約束した正教会だけだった。
「彼女は?」
「まだ思い出してくれません」
 司祭は言った。
「教会には毎週来ているんですよね」
「ええ、私の傍を通りますが、わかってくれないんです。何かいい方法はないでしょうか」
「いい方法ねえ。でも彼女を死なせてあなたの世界に行ってもらうことはできないですからね。あなたもいつまでもこの世をうろつけないでしょ?」
「ええ…」
 司祭は腕組みをして首を傾げた。司祭が最終的に考えたのは、次の通りだった。男は婚約者として女の前に現れる。女は納得しないかもしれないが、とりあえず正教会で結婚式を挙げ、写真を撮る。その写真を大切に保存して女の記憶が戻るまで待つというものだった。
 人間の女と亡霊の男の結婚式がとり行われた。
「汝は妻を永遠に愛しますか」
「はい」
 司祭は女に言った。
「汝は夫を永遠に愛しますか」
「いいえ」
 司祭と亡霊の夫は言葉を失った。女性が言った。
「私は夫を愛しています。気が付きました。私の婚約者はこの人です。いまこうして司祭の力で会えたことに感謝いたします」
 それならば亡霊の夫はもうこの世にいる必要がなくなったといい、笑顔で妻となった女と改めて愛を誓い、妻と司祭に別れを告げた。
(了)
 
 
posted by 田畑稔 at 09:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする