2019年11月02日

「渚にて」作・田畑稔(no.0133.2019.11.02)

 ヤシの葉蔭がそよいでいた。
 渚は穏やかだった。水は清くこすれ合った海底の小石は丸くくっきりと見え、波にさらわれてサラサラと音を立てていた。小さな子供が波打ち際を駆けている。若いカップルがデートするには持ってこいの情景だった。
「穏やかな海だね」
「ほんとにそうだわ。何もかもが幸せよ」
 だが少し前、この渚では壮絶な戦いが繰り広げられていたのだった。発端は、家畜だった。家畜は穀物を消費する。穀物を肉に変換するシステムだといっていい。したがって穀物の消費すなわち家畜が食べる穀物に対し出来上がる肉が多ければ多いほど良い。この改良はどこの国でも行われていた。
 それまで豚肉1kgを生産するのに6kgの穀物が必要とされていたのに、遺伝子工学により3kgの穀物があればいいというブタが生まれた。これは鶏肉の生産における穀物の比率とほぼ同じだった。しかもブタは余った食糧、簡単にいえば残飯まで食べてくれるので肉の価格は当然安くなる。画期的であった。
「さらに穀物比率が高くなる可能性がある」
「本当ですか、それは素晴らしい」
 一気にブタが食肉の中心となった。なにしろ価格が下がったのだ、当然のことだった。食卓は毎日生姜焼きやトンカツで埋め尽くされたのである。
 さらにブタは人々の願いが聞こえたのか、穀物の比率がさらに下がった。もはや3kgを超えて鶏肉生産比率より高くなったのだ。各地の養豚場で大きなブタが幅を利かせた。
「大きくなったよね」
「これまでのブタの二倍はあるかな」
 ブタは単に太っただけでなく、骨も成長し身長も伸び、体高も高くなり今までのサイズの豚舎では収まり切れなくなったのだ。そして豚舎は増築されブタは増え、ブタが大いに幅を利かせていったのだった。結局、ブタは遺伝子改良の勝利を具現したのである。どこの豚舎でも、丸く大きなり、目つきだけ見るとあまり可愛くなく子供だったら怖がって逃げてしまう巨体が、鼻息を鳴らしていた。
 豚舎を掃除していた係員がブタにのしかかられ、圧死した。その時ブタは肉牛をはるかに超える大きさであった。もう屠畜場でも処理が難しく、ブタお断りの立て札が立てられる始末であった。
「おい、見たか最近のブタ」
「大きくなったんだろ?」
「大きくなったなんてもんじゃないよ。ゾウだよまるで」
 地上最大の大きさを誇るアフリカゾウと比較しても劣らない体格に育っていたのである。中には豚舎を抜けだして、行先がわからなくなったものもいた。それはある時森の中で発見された。確かにこれほどの大きさのブタが森の中からいきなり登場したら驚くが、それだけではなかった。たまたま出会った人間の上にのしかかり圧死させ、しかもそれを食ったのだ。それは恐ろしい光景だった。
 確かにブタは雑食であり人間を食べても不思議ではないが、普通、ブタは人間を襲う肉食動物であるという認識がない。それだけに衝撃をもって受け止められた。
 即座にブタ駆除作戦が展開された。使用されたのはゾウなど大型獣を仕留めるための銃だった。それでもブタの駆除部隊の準備は甘いものだった。ブタはすぐに駆除部隊を識別した。樹木を盾に隠れた。隠れたとしても隠れきれないほどに大きく膨らんだ胴体なのだが、頭や心臓など急所は避けて隠れた。そう簡単に仕留められるものではなかった。それどころか音もたてずに狙撃手の背後に立ったと思ったら、狙撃手は逆に仕留められた。それではと狙撃部隊を増やし、壮絶な戦いを繰り返したのち一頭ずつブタを倒していった。
「まさか人間とブタの戦いになるとはね」
「図体が大きいだけに、凄惨だね」
「とても素人は見られないよ」
「ブタにしてみたら、遺伝子工学の犠牲者だよね」
「ほんとだよね」
 ブタはこれ以上人間に殺戮されることを避けたのか、それともさらにいっそう体が大きくなったこともあったかもしれないが、森林から住処を移した。それは水の中だった。哺乳類で陸に住んでいたのだが、海や川に住処を移したものがたくさんいる。ブタもその例に習ったのだ。いつの間にかブタは水棲哺乳類となっていた。
「水棲哺乳類はいいが、進化するのが早いよね」
「そう、もうカバ並み。ほぼ水中にいる」
「人間と戦うことはなくなったのかな」
「そうみたいだね」
「よかった」
 水棲哺乳類となってブタは様々な体の変化が見られるようになった。まず前足後ろ足ともヒヅメが消え、指の痕跡がないブタも現れた。これはアザラシのように前足も後ろ足も小さくなって胴体に収まるか、その後クジラ類のように手足は完全になくなってしまうと考えられた。
 さらにアザラシのように鼻腔にフタができるようになってきたとか、瞳が常に水にさらされるので瞳を守る新たな網膜ができたりしていた。それからこれはある程度可能性として予測されていたのだが、キリンのように首が伸びるだろうとされていた。キリンの首が長いのはキリンも水棲哺乳類としてより深いところで呼吸がしやすくなるために首が長くなったのであり、ブタもその道を歩むとされていたのだがブタはそちらの道は選ばなかった。なんと、ゾウの進化の道を選んだのだ。ブタの鼻が伸びていっていた。 
「ゾウも水棲哺乳類だったってのは間違いないの?」
「間違いないね。そもそもゾウは陸上の動物としては大きすぎるんだよ」
「水の中でないとあの体重は不利だと」
「そういうこと」
 今やクジラの次に大きな水棲哺乳類となったブタ。すっかり水に適応し海にその大きな体を沈めていた。そしてまだゾウほどではないが長い鼻を使って長時間の潜水をしてはまた浮くことを繰り返していた。
 そしてそのブタの巨体に寄り添って泳ぐ小さな動物が最近目撃されるようになった。
「あれは?」
「あれこそが、最近まで誰も思わなかった忘れられた水棲哺乳類だよ」
「それは?」
「ヒトという水棲哺乳類だ。学説もあったし伝説も以前からあったんだけどね。それは本当かどうかわからなかった」
 海は凪いで穏やかだった。突如ブタの巨体が海中から飛び出したかと思うとまた海中に消えた。ヒトも同様であった。鮮やかな遊泳を見せた。水棲哺乳類になっていたのだ。伝説の通り、半魚人にも見えるし河童にも見えるし人魚にも見えた。彼らはそうであったときの記憶と遺伝子を呼び起こしたのだ。
(了)
 
posted by 田畑稔 at 11:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする