2019年11月30日

「天気予報」作・田畑稔(no.0171.2019.12.10)

 予報とは難儀である。
 予測、予想の類は難しいものだが、特に天気予報は生活に直結しているだけに難しい。天気予報が外れると、テレビやラジオには抗議がくる。気象予報士にそれを求めるのは気の毒だと思うが視聴者は求める。難儀だと思う。 
「明日は幼稚園の運動会。必ず晴らしてね」
「明日はマラソン大会。直射日光はやめてよね」
 だから、気象予報士自身が天気を選べればいいのだが、そうはいかないもの。だが昨今必ずしもそうではないということが分かってきた。天気を選ぶことが可能となったのだ。以前から、例えばかつて革命記念日パレードの時のクレムリン宮殿の周囲だけ晴らす、ということは可能だったことは知られていた。だが現在ではクレムリン宮殿よりずっと大きなエリアで晴れたり、曇ったりが可能になったのだ。
 しかし常にどちらの天気も要求される。自分の要求した天気と違う天気が選択された者は怒る。必ず文句を言う。だから話し合いで決定された。それでも決まらないと、投票で決定しようということになったのだ。
「投票の結果、明日は雨に決定いたしました」
 投票結果が発表されると、必ず歓声と落胆が交錯する。子供の運動会くらいならいいかもしれないが、農業のために雨が必要だったり、水害を招きかねない強雨は断固として止めてほしい。それなのに自分の望まない天気が割り当てられると、その人たちにとっては死活問題なので、一喜一憂では済まないのである。いつの間にか、天気はある一部の者たちだけが喜ぶ天気のみが勝手に与えられていた。つまり気づかないうちに、天気の国家統制、天気独裁国家ができあがっていたのだった。
「明日は晴れだっけ?」
 夫の求めに応じて妻は天気予定表を見た。いま天気予報という言葉はない。国家権力によって、相談なく天気は選択される。だから天気予定といわれる。予定された天気、それしかないのである。選択の余地はない。
「晴れのち曇り夕方一時雨よ。午前中、党幹部の視察があるのよ、だから朝は晴れ、そして午後は暑さをしのぐために一時曇りにし、雨が降らないと水源が乏しくなるので少し雨を降らせる。そういうこと」
「ずいぶん細かく天気を決められるようになったんだね」
「独裁者様の思う通りよ」
「逆らうとどうなるの?」
「いなくなっちゃうの」
「いなくなる?」
「そう、どっか連れていかれちゃう。それで終わり、もう会えない」
 聞きしに勝る暴君が政府にはいるようだ。
「その暴君って、いったい誰なんだい?」
 妻は言った。
「だから、それを言ったらいなくなっちゃうのよ。わかる? いなくなってみたい?」
「あ、そうか」
 権力の濫用あるところには必ず抗う者が現れる。天気レジスタンスだ。権力が認めた天気を不当としそれを認めない。だがレジスタンスがレジスタンスたらしめるのは、とにかく権力の決定の正反対を行うことである。天気の選択に根拠はない。権力のただ正反対を行う。しかし彼らは自分たちこそ民主主義者であると訴える。
「天気民主主義だって」
「それはなんだい?」
「天気こそ国民のモノだ。国民が天気を決定する。それが天気のあり方だ。われわれはそれを追求する、という主張ね」
「ややこしい」
 だが天気独裁派は強かった。天気民主主義派を抑えつけるのに成功した。天気民主主義派は消滅した。彼らはどこかでゲリラ化して潜んでいるのではないかと識者は言っていたが、それはつかめなかった。
 一方で、農民や水源を管理する者たちから渇水に対応する強い要求が出て、天気独裁国家は非常に困った。一般的に人々の行楽や消費の喚起を期待できるのは好天だから、いかに天気独裁といえど週末、連休などを中心に好天を実施せざるを得ず、だがそれでは水が足りないといってきたのだ。それは強い要求で、いかに天気独裁国家であっても容易に押し返せるものではなかった。
「どうして雨を降らせないんだ。農家が困ってるんだから」
 スーパーで売り場で並ぶ野菜が明らかに減ったのを見て、妻は言った。
「天気独裁国家も困ってるらしいけど…」
 妻はそれ以上は言葉を濁した。独裁国家の見えない圧力はむしろ家庭の主婦にこそ大きかったのだ。天気の話は人と人との円滑なコミュニケーションに欠かせない、そこにブレーキがかかる。さぞやストレスであろうと思う。
「きょう晴れるかしら、洗濯物がたまってるし」
「午後から雨よ、うちも小さい子がいるから洗濯しちゃいたいのよね」
 そういって主婦たちはハッと思いついたように口に手を当て、声を潜めた。
「きょうは農業のために雨の降る日だったかしら」
「そうよ。勝手な天気の話はしちゃいけなかったわね…」
 天気独裁国家は、主婦の日常会話まで奪ってしまっていたのだった。
「窮屈な世の中になってしまったよね。言いたい天気も言えないなんて」
 妻は言った。
「そもそも天気独裁者って誰なの?」
「それがわからないんだ。マスコミも調べようとすると、どこかでガードが下りちゃう」
「子供が一番の遊びは、天気独裁者遊びだって」
「天気独裁者遊び?」
「顔を隠した独裁者様が、好き勝手に選んで給食を食べさせたり食べさせなかったりするんだって」
「国がやってることはそういうことだよね。狂った世の中になっちゃった」
 農民の一部が、農業を守れという合言葉のもと活発な活動を始めていた。彼らの要求は、天気とはまず農業のためでなければならないとした。行楽や消費の喚起は二の次だという。
「うちにも来たわよ。農本主義の方々」
「農本主義?」
「天気はまず農業のためにあるべきだ、だって」
「…わからないわけではないけどね…」
 農本主義は街頭で示威行動そするのが見られた。演説とデモ。演説は静穏だったがデモになると警官隊が阻止した。警官隊と農本主義者たちが街頭で衝突をしたのだ。
「農本主義者の中には野良着のおばさんたちもいたんだよ。オレはつい頑張れ、って言っちゃったよ」
「生活かかってるものね、あたしも応援したくなるわ」
 天気独裁国家の独裁が緩んだ。農本主義者の野良着のおばちゃんが頭から血を流して救急車で運ばれたのだ。天気独裁国家は明らかに動揺した。その緩みを突いたのは天気民主主義派のゲリラだった。いつも国家が決める天気に反対し、天気民主主義を唱えていた彼らが過激化したのである。彼らは街頭に現れ「天気予定反対!」だの「天気帝国主義粉砕!」だののスローガンを掲げた。街頭演説には、ヘルメットにタオルで口と頭を縛ったスタイルで並んで立っていた。
「天気民主主義ってどうなのよ」
「過激派でしょう? 賛同者はいないと思うけど」
 だが、農本主義者たちと天気民主主義派が合同して、大きな勢力になったのだ。彼らの活動から、有力な資金源が後ろにあることが指摘されていた。彼らの統一スローガンは天気独裁反対。過激な行動にはついていけなくても天気独裁に反対する国民は多く、彼らの支援者は次第に増えて行った。町中でシュプレヒコールが響き、いたるところでデモが発生していた。
 天気独裁政権が突然あっさりと崩壊した。突然やる気を失った。天気独裁者がいなくなったのである。権力側も反権力側も消えた独裁者を追跡した。まったく後始末もなくいなくなってしまった。
「独裁者は女という話だね」
「それも気象予報士だったって話しよ」
 天気独裁国家は崩壊し、代って樹立されたのは天気民主主義人民共和国であった。彼らは天気絶対平等主義を掲げ、簡単にいえば天気版共産主義であった。
「天気絶対平等主義と言ったって、つまり独裁ってことだろ」
「前より悪いかもしれないわ」
 気象予報士がテレビに出演していた。何気なく当たり前の顔をして天気予報を伝えていた美女だが、彼女こそ天気独裁国家の独裁者だったと噂されている。そういわれてみれば気の強そうな女性である。天気予報の異なる要望が殺到しキレて独裁者になったが、あっという間に飽きたのだと噂されていた。
(了)


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「逆上がり」作・田畑稔(no.0170.2019.12.09)

 子供たちはいつも自由である。
 学校の校庭は子供たちの舞台、どんな自由な演技もその舞台では歓迎される。子供たちは天真爛漫である。何一つ制限も禁止もない、彼らの顔を見るとそうである。誰が見てもそうであるのだが、子供たちには一つだけ禁止がある。どうしても許されない禁止がある。それは禁止であり、やってはいけない。学校で逆上がりをやってはいけない。
 学校で逆上がりが禁止されたのはいつだったろう。きっかけは何だったのだろう。実はもう皆の遠くの記憶になってしまっていた。なぜ禁止されてしまったのかを考えることすら忘れてしまった。
「みんな集合」
 教師が、体操を終えた子供たちを集めて言った。
「みんな頑張った、よくできている。ただ、逆上がりは禁止されている。十分に気を付けるように」
 子供たちの元気な返事が響いた。学校が終わると、教師たちは二人組で逆上がりの禁止を徹底させるため、校外の公園などを監視しなければならない。きょうは教師と体育のコーチが組んだ。
「最近どうです? 学校逆上がり禁止は徹底されてるんでしょうか? 僕は監視が久々なもので」
 教師が体育コーチに言った。
「なくなったように思うんですけどね。少し前までなら、隠れて逆上がりをする子供、それをやらせる親もいたもんですけど」
「罰則が厳しくなったこともあるようですね」
「ありますよ。だって逆上がりをやらせた親は注意、指導、罰金もあります。これがまた結構な高額で」 
 公園には鉄棒はあるものの、誰も鉄棒をやろうとしない、そういう状況になってしまっていたのだ。
「コーチは覚えてますか? 学校の逆上がりが禁止になったきっかけって」
「覚えてないですね。何がきっかけだったんだろう。ある日突然決まったような、そんな感じでしたね」
「理不尽だ、という声も聞きましたけどね」
 体育コーチは人差し指を立ててシッと言った。
「誰に聞かれるかわかりませんよ」
 学校逆上がり禁止法を犯すと通報される。だから逆上がりの可能な鉄棒のある場所では特に監視が厳しいのである。親はもちろんだが、この頃では子供であっても厳重注意、そして学校停学などの処罰が行われた。
 投げ込みのポスターがあった。学校逆上がり禁止法案に反対する会、子供たちから体操を奪っていいのか、と記されてあった。
「あなた、見て。学校逆上がり禁止法に反対する会ですって」
 妻の言葉に、教師の男は言った。
「やっぱり、具体的に行動起こすグループもいるということか」
「逆上がりはいつまで禁止なのかしら。やりたい子供は多いんじゃない?」
「教師たちも、言いたいがなかなか言えないという状況なんだ」
「先生たちが生ぬるいのよ。意気地なし」
 教師は、責められても反論できなかった。
 体育コーチが誘ってくれた。学校逆上がり禁止法により、そもそも鉄棒が事実上できなくなったことを憂える会、というものができて密かに集会を重ねているとのことだった。そこに行くと、小学生たちが一生懸命逆上がりを繰り返していた。
「どうですか、驚きましたか?」
 教師はうなづいた。
「地下体操教室、あるいは地下鉄棒というものがありまして、ここがそうです。みんな好きなだけ逆上がりをしています。指導しているのは実際学校の体育教師や体育専門コーチが多いんです」
「警察に知られない?」
「地下体操教室は秘密の体操教室なんですが、その役員に警察官や警察庁の上層部もいるといわれております。だからここも見て見ぬふりされているんです。表向きは逆上がり禁止ですが、裏では選手のトレーニングも行われているんです。だって今のままじゃオリンピックの体操選手はいなくなりますよ」
 教師は言った。
「だったら、なぜ逆上がり禁止法なんて出来たんですか。それをやめればいいんじゃないですか?」
「まったくその通りです。いま、我々も学校逆上がり禁止法の廃止のために立ち上がったところです。先生にも署名と寄付をお願いいたします」
 学校逆上がり禁止法ができたきっかけとはなんだったのだろう。教師自身も覚えていなかったが、その原点に立ち戻れば意外と解決は早いのではないだろうか、教師はそう思った。
 一方で、学校逆上がりの禁止を続けよう、断固守ろうと考える親たちの動きも活発になってきていた。クラスの子供の親も参加している大きなグループである。子供の平等な社会と教育を実現する会といい、時には抜き打ちで体育の授業を見学に来て、逆上がりが禁止されているかどうかを厳しく監視した。
「先生は、学校逆上がり禁止の継続にはもちろん賛成ですよね」
「え、まあ…」
「何ですか、その頼りない返事は。もし、学校逆上がり禁止をやめるなどという地下組織の運動に同調するようなら、私は警察に言いつけますよ」
 最近では、見えるところで逆上がりをする子供がときどき見られた。明らかに、子供の平等な社会と教育を実現する会の思想に対する挑戦であった。露骨な脱法行為と見られ、学校逆上がり禁止法を断固守ろうという母親たちと一触即発の様相を呈してきた。
「学校逆上がり禁止法はなぜできたんでしょう。きっかけはなんだったんですか? 教えていただけませんか?」
 教師は、子供の平等な社会と教育を実現する会の親たちに尋ねた。
「詳しい経緯は知りません」
「知らないんですか?」
「知りませんが、逆上がりはないほうが良いのです。良くなければ法律はできないじゃありませんか」
 学校逆上がり反対の地下運動を展開している側に新たな援軍が加わった。
「名前は明らかにできませんが、体操競技のハイレベルな大会の元選手です」
 元選手は肩や胸の筋肉が素晴らしく発達していて、いかにも元体操選手だった。
「私も、今のままではオリンピックから日本の体操選手が消えてしまうのではないかと憂いています」
 体操コーチは言った。
「この方は、学校逆上がり禁止法の成立の経緯いついてご存じのことがあるそうです」
「ほんとですか? それはいったいなんですか?」
 元体操選手は言った。
「ある学校で、逆上がりができずにクラスからいじめられて泣いていた子供がいたことです」
「それで?」
「結局、逆上がりができないというだけでいじめられるのはおかしいと、そういう声が上がり大きくなって、最後は学校の逆上がり禁止法にまで発展したということです」
 逆にいえばそれだけだったのだ。ただそれだけのことで、学校における逆上がりが禁止になったのだった。
「みんながやれるようになろうとすると、どうしてもできない子がいるから不公平になる。だったら全員やらないことで同じにしようと、そういう考えが始まりだったわけね」
「逆上がりができないならできなくていい、できる子だけがやればいい。なぜそういう考えにたどりつかなかったんだろう」
「しかも最初のきっかけになった、逆上がりができない子ってもう卒業してしまってますからね」
 一部教師や親たちが勇気を出して、みんなが逆上がりができなくたっていいじゃないかと立ち上がったことは、すぐさま大きなムーブメントとなり、ついには文部科学大臣も突き動かした。学校逆上がり禁止法は廃止され、誰もがどこででも逆上がりができるような社会に戻ったのだった。
「学校逆上がり禁止法が廃止されて、学校は変わったね」
 教師の言葉に体育コーチは答えた。
「そうです。僕の教え子の中にも、体操の選手を目指そうという子が出て来ています」
「学校逆上がり禁止を唱え続けていた親たちは、今どうしているんだろうね」
「はい、学校逆上がり禁止法廃止に関してはもう異を唱えなくなりました」
 体育コーチの表情は冴えなかった。
「じゃ、いいんじゃないの?」
「しかし、他のことで異を唱え始めています。ドッジボールです」
 子供の平等な社会と教育を実現する会はドッジボールは禁止すべきだと主張している。ドッジボールは、投げられたボールをどうしても避けることが不得手な子がいる、できない子はいつも標的になり痛くて悲しい思いをする。だからドッジボールは廃止されるべきだと強く主張している。
(了)


 
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2019年11月29日

「アンカ」作・田畑稔(no.0169.2019.12.08)

 足元にアンカを入れておいた。
 布団に入ってこれほどうれしいこともない。例えば冬季は布団自体が十分に冷たい。それがアンカを入れておくと温かいことこの上ない。足の裏でアンカを包む。特に冬はそうする。涙が出るほどうれしい。これほどの幸せはないかもしれない。この世にアンカの温もりを味わうために冬はあるのだ。断固そう思う。
 至上の温もりを感じていた男がふと目を覚ました。足は温かかったが、それはアンカではなかった。男だった。着物を着て髪を無造作にくくり、見てくれ侍の格好をした男が両手で自分の足を温めていたのだ。
「すいません。オレの足を暖めてくれてたんですか?」
 侍は口ひげがあり、その口を緩めた。微笑んだのだ。そして消えた。男にとってそれは夢だった、夢だと思わなければとても納得できない話だったのだ。あの侍はいったい誰なのだろう。しかしそれも当然だ。だって、侍の知り合いなどないからだ。
 翌日だった。やっぱり男は寝るときにアンカを布団に差し込んだ。そして両足を十分温めるといつの間にか眠りについていた。そして夜中である。誰かに足を握られているような感じがした。目を開けるとまた、侍が男の両足を握って温めていた。
「毎日のようにすいません。どうしてオレの足を握っててくださるんですか?」
 侍は男の足を握ったままであった。
「オレは他人に温めてもらえる足なんか持ってません」
 もう一度男は言ったが侍は答えなかった。だが少し口元が緩みそして消えた。男は、足を温めてくれる侍の話を会社の同僚に話した。
「人間アンカかい。いいじゃないか」
「だって気持ち悪いよ。何なのかと思うよ」
「何かの祟りじゃないのか?」
「やっぱりそうか。でも何か悪いことしたかな」
「よっぽど悪いことしたんだよ」
 しばらくすると、寝ている間に足を温めてくれる侍は今度は太刀を差して玄関口に座っていた。正座を組み両手を床につけて目を下に落としていた。男が出かけようとしたとき、侍は頭を一回床近くにまで下げ一礼すると、さっと起き上がり玄関口で横を向いてしゃがみ、おもむろに懐から革靴を取り出した。そして靴の先を外に向けて玄関に置いた。ピカピカに磨き上げられていた。男は恐る恐る靴を履いた。
「…靴まで磨いて温めていただいて、まことにありがとうございます」
 侍はその間片膝をついたまま微動だにしなかった。
「今度は靴を懐で温めてくれるって? まるで木下藤吉郎じゃないか」
 同僚は笑った。
「笑い事じゃないよ。朝、玄関にいるんだぜ。一晩ずっといるかと思うとおちおち寝てられないよ」
「でもさ、靴温めてくれるのが木下藤吉郎だとすると、お前は織田信長ってことじゃないか。お前の過去を遡っていくと織田信長に突き当たる? そいつはすごい」
 男は夢を見た。男は松明を持って歩いて進み、そして戦場でに仁王立ちした。男は勝利寸前であった。敵方は兵糧攻めで次々と死者を増やし、ついには降伏してきたが男は認めなかった。捨て身で戦いを挑む者も、逃げ出す者も容赦せずに斬って切り刻んだ。寺に火を放った。火は全てが灰になるまで付け続けた。木片の一つたりも残さず全てが完全な灰になるまで何日でも火を付け続けたのだ。
 男は汗びっしょりで目が覚めた。なぜ自分が寺に火を放ち、門徒たちを皆殺ししなければならないのか。なぜそんな夢を見なければいけないのか。男はしばらく茫然としていた。
「寺を火事にした夢を見たよ」
 同僚は笑った。
「どこの寺に火を付けたんだ?」
「どっかの山の中の寺だ。たくさん死んだ。死んだというより殺した」
「そういうのって、生まれる前、何代か前の自分に何か因縁があったって言うよな」
「そんな因縁は嫌だ。なんとか晴らす方法はないかな」
「夢なんだから、気にすることないじゃん」
 そういわれても男の気持ちが晴れなかった。
 男が会社に行こうと外に出ると、いつもの侍が槍を地面に立てて立っていた。これまでと違う目つきだった。以前より目鼻立ちがはっきりし背も高かった。なによりはかりごとをするのに長けた目に変わっていた。
「お、おはようございます」
 男が挨拶したが、侍は何も言わず立っていた。空いてるほうの手には松明が握られていて、松明からは炎が上がった。男はその松明を高く掲げた。炎で照らされた侍の目が炎と同じように真っ赤になり、不気味に笑った。男は震えた。侍は松明で火を付けようとしていると、そう思った。逃げようとしたが体は言うことをきかず、勝手に突き進んで行った。
「まさか寺に火を付けに行くのか…、オレは嫌だ、火を付けるなんてできない」
 侍は松明を男に渡そうとした。 
「やめてくれ、オレは嫌だ。火事になったら、みんな死んじゃうじゃないか…」
 だが侍が、燃えた松明を男に渡すと、男はそれを受け取り松明を握り町を走った。男を見た者がいるとすると、男の目は松明の炎のように真っ赤だったに違いない。だが男の意識は行動のそれと違った。
「誰か、火を消してくれ…」
 男は通り過ぎる者に懇願した。
「お願いだ、オレの手から松明を取ってくれ!」
 警察官が男を止めようとした。
「おい待て、火を下ろせ! お前何を考えているんだ!」
 警察官やパトカー、消防車が集合した。男は小路に入った。寺の裏門があった。そして意識と反対に手は寺に火を放ったのだ。男は泣きじゃくっていた。ごめんなさいと繰り返し言った。瞬く間に寺は燃え広がり、あっという間に火は大火の様相を呈した。
「おい、放火犯がいたぞ!」
「早く、捕まえろ!」
 警察官の声がした。松明を持った男を追い詰めた。男は警察官に捕まりたかったが、後ろに侍が男を待っていた。背が高くなりはかりごとに長けた目をしていた侍そのままだった。侍は男をドアの向こう導いた。男は震えながら言った。
「なぜだ、なぜオレが火事を起こさねばならないのか…」
 侍は座ってうやうやしく頭を下げると、短刀を取り出し鞘から抜いて手前に置いた。男は震えながら願った。
「教えてくれ。お前はなんだ、オレはなぜこんなことをしなければならないのか。教えてくれ…」
 侍は言った。
「おやかた様、準備が整いました」
「準備? なんの準備をしたというんだ」
 立膝をして下を向いていた侍が顔を上げた。赤く、そして冷たい目をしていた。
「さあ、こちらへどうぞ」
 男が招いたところには畳が一畳敷かれ、抜かれた短刀が置かれていた。
「オレに腹を斬れというのか。嫌だ死ぬなんて嫌だ」
 侍は障子を開け放った。見ると周囲は炎に包まれていた。逃げたくても逃げ道が見つからないくらい燃え上がっていた。
「さあ、おやかた様、どうぞ、見事に果ててくださいませ」
 男の体は意思に反して、侍の言うとおりに畳に座ると腹を出した。男は恐怖に震え、声にならない声を発しながら刃をわき腹に突き立てた。
「お、お前は、なんなんだ…」
 男は声にならない声を発した。侍は言った。
「おやかた様の忠臣、明智光秀にて御座候由」
 侍はそう言うと障子を開け、そして閉めどこかへ消えた。
「そうか、木下藤吉郎かと思ったら、明智光秀だったのか…」
 男は、短刀をわき腹に奥まで突き刺し、真横に引いた。メリメリと裂く音が聞こえた。男は顔から畳に落ちた。その時声が聞こえた。
「おやかた様あ、おやかた様あ、いらっしゃいますか。藤吉郎はただいま到着いたしてございます」
「藤吉郎め、遅いんだよ、いまごろ来やがって…」
 男の体はすっかり炎に包まれた。
(了) 




posted by 田畑稔 at 21:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする