2019年10月31日

「健康診断」作・田畑稔(no.0131.2019.10.31)

 健康診断の結果が出た。
 男は格別頑強ではないが、大きな病気もケガも経験がない。可もなく不可もなしが男の日常だが、今回少しばかり異常が検知された。肝臓に腫瘍があった。医師の話では、急を要するわけではないがこれ以上腫瘍を大きくしないようにということだった。
 医師が検体を精密検査に回したいと言ったときからガンの報告は覚悟していたが、やはりそうだった。しかし男は自分でも意外なほど冷静に受け止められた。このまま腫瘍を大人しく飼いならせられれば、天寿を全うできると言った医師の言葉にも気持ちを強くした。
「とりあえずホッとしたわ」
 妻が言った。
「いや、けっこう大変なんだよ。いろんな意味で」
「いろんな意味って?」
「いろんな意味でだよ」
 翌日出社するとすぐに少し後輩の男が寄って来た。
「おめでとうございます!」
 来るだろうと思ってたがやっぱり来た。男の会社では社員が病気と聞くと祝福されるである。
「肝臓ガンですってね」
「まだ初期だから」
「初期の肝臓ガン、本当におめでとうございます。課長!」
「課長じゃないよ、ヒラだよ」
「いいえ。肝臓ガンはレベル高いです。二階級特進です。係長をジャンプできますから」
 この会社では不思議なことに、病気になると昇進するのである。病気の一つもないと一生懸命やってないと見られるようなのだ。もちろん長時間労働、休日出勤は当然でさらにそれで体を壊すことが求められる。それでこそ一人前だと。
 病気は悪ければ悪いほど、症状が重なれば重なるほど出世する。胃腸や何やらに深刻な病気を抱え症状も極めて重いことが発見された社員は、見事三階級特進の栄誉を受けた後、短期間で死去した。会社では誉と言われた。
「病気になると昇進するなんておかしいよ」
 男の言葉に妻が答えた。
「郷に入れば郷に従えよ。どこの社会にも矛盾はつきものじゃない?」
 男は社内でも珍しい地方採用だった。アルバイトで入った支店でそのまま社員となった。だから本社の事情にあまり慣れていなかった。だから入社後だいぶんしてから本社に異動して大いに戸惑った。
 昼間の仕事はほどほどにしないと残業できないぞとか、健康診断の前日には暴飲暴食をして数値を悪くするのが良いとされるとか、誰かが死んだ場合には盛大に祝うとか。
「死んだら喜ぶんだよ。おかしいじゃないか」
「そういう会社もあるということじゃない。いいのよ」
 男の腫瘍は幸いにも大きくならず大人しく推移していた。
「先輩、肝臓ガン、大人しいんですってね」
「そうだよ、悪い?」
「いえ、悪くはないんですけど…」
 同僚は面白くなそうに、どこかに消えた。
 男から見て病気の男がいた。係長であった。ちょうど耳から下がった顎の下に丸い腫れができていた。わりと目立つところにあるものだから、その社員は得意になってひけらかした。
「ほら、こんなに大きくなったぞ!」
 明らかに腫瘍である。もし悪性の場合は具合いが悪い。命に係わる。だが、腫れを持つ者にとってはこの上ないのだ。腫れて顔がまっすぐに維持できないほど悪化した係長は大きく手を振って入院した。
「悪性腫瘍だった。一週間しかもたなかった」
「ご家族も悲しみでしょう」
「それが違うんだよ。葬式はみんな飲めや歌えやで宴会だ。おかしいよ」
 男からみると明らかに会社はおかしくなっていた。人の病気が重くなればなるほど、死ねば死ぬほど会社は盛り上がった。その盛り上がりの裏で青ざめる者、歩くのがやっとなほど衰弱した者、腫瘍が大きく元の顔がどんなだったかがわからなくなった者が何人もいた。
 ある日、会社の廊下でうずくまっていた社員がいた。顎の腫れが異様に大きく、もはや高熱に汗を流し震えて意識もなかった。男は救急車を呼び、救命措置を受けぎりぎり助けることができた。
 だが、社内の反応は意外だった。本人が救急病院に連れていってくれとは言ってないだろうとか、救急車を呼ぶ必要はなかったとかである。
「あのまま放っておいたら間違いなく死んでいたんだぞ、みんなおかしい」 
 男はもう黙っていられなかった。
「先輩、気持ちはわかりますが、亡くなった社員の家族にはそれなりのカネが出ますからね」
「なんだ、みんなカネがほしいのか?」
「いえ、そうあからさまなことでもないんですけどね」
 男はつくづく呆れてしまった。
「直接オレに行ってきた奥さんもいたよ。死にそうなときには素直に死なせてくれればいいのにってね」
「また、はっきり言うわねえ」
 柔軟な妻でも理解が難しかったのだ。
「じゃ、準備はできたか?」
「はい、いいわ」
 男は左遷されてしまったのだった。会社で死にそうな社員を下手に助けてしまったことが、社内の常識的には受け入れられないということで元生活していた支店に飛ばされたのだった。男が現れた。
「その節はありがとうございました」
「君は…ああ、あの社内で倒れていた…」
 男は頭を下げた。
「本当にありがとうございました。あの時、課長が救急車を呼んでくれなかったら僕は今ここにいません」
「いや、本当によかった」
「病院にいる間、考えてたんです。課長がおかしいんじゃなくて、上手く死ねなかった僕が悪いんだって。今度は見事に死んで見せます」
「まあ頑張って。オレはまたヒラに戻ったところからやり直すんで。じゃまたいつかな」
 男は倒れて助けた男の肩をポンと叩いて、笑みを浮かべて立ち去った。
(了)



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2019年10月30日

「河畔」作・田畑稔(no.0130.2019.10.30)

 男は河畔にたたずんでいた。
 空には月も星もなかった。ただどんよりと暗く重い空気に包まれていた。川の向こう岸は見える。でもどれほど距離があるか、渡ることはそもそも可能なのかわからない。川はどこまでも深く、暗く重たそうであった。だが男はこの川を渡らなければならならなかった。
「川の向こう岸に行きたいのですが」
 男は話しかけた。暗く陰気な顔の男が言った。
「川の向こうに行きたいだって?」
「はい」
「行けないよ。行けるわけがないだろ」
「どうしてですか。向こう岸に明かりが見えますけど」
 陰気な顔をした男は怒るように言った。
「あんた、この川の名前を知らないのか」
「知りません」
「三途の川だよ」
 陰気な顔の男は怒って去った。別の男に尋ねた。男はやっぱり死にそうなくらい暗い顔をしていた。
「三途の川は渡れないかだと? そもそもあんたは三途の川を渡って来たんだろう。また戻りたいのか」
 男は言った。
「会議に出たいんです」
「会議に出たい?」
「はい」
 陰気な顔をした男は呆れたような顔をした。
「あんたは、自分がどういう立場にいるのか分かってないのか。そもそもあんたは一度三途の川を渡って来たんだぞ、つまり亡者だ。あんたは死んでるってことだ」
「そうですか。でも会議に出たいんです。きょうの会議は、会社の営業方針が示される大事な会議なんです」
 陰気な顔をした男が餓鬼を連れてきた。
「会議に出たいと言ってるやつはおまえか」
「はい、会議に出させてください」
 餓鬼は腕組みをして唸ってしまった。
「これは相当の重症だぞ」
 餓鬼がいうと陰気な顔をした男はうなずいた。
「会議で何があるんだ」
 餓鬼が言うと男は答えた。
「営業方針が示される重要な会議なんです」
「あんたはその会議とどう関係があるんだ」
「はい、営業係長代理として出席いたします」
「営業係長代理ねえ」
 餓鬼はため息をついた。すると男はいきなり三途の川に入ってジャブジャブと水をかき三途の川の沖に突き進んだのだ。餓鬼たちが大慌てで男を引き戻した。
「バカが。亡者が三途の川を戻るとは」
「戻っちゃいけませんか?」
 騒ぎを聞きつけて亡者や餓鬼が周囲に集まった。鬼が来て言った。
「そんなに会議に出たいか」
「はい、その後には接待もありまして」
「接待?」
「はい。接待は仕事でもあり、中管理職にとっては生き甲斐です」
 鬼は山を指した。山は、たくさんの針が上に向いて刺さっており、亡者が体を串刺しにされてうめいていた。
「あれは妻不幸地獄だ。仕事仕事と言い訳をして家事を微塵も手伝わなかった夫の落ちる地獄だ」
 鬼は別の山を指した。山では亡者は油をかけられ火を放たれていた。
「あれは子不幸地獄だ。仕事仕事と言い訳をして子供の宿題一つ見てやらなかった父親の落ちる地獄だ」
 男は朽ち果てている小舟を漕ぎ出そうとしていた。鬼たちは慌てて止めた。
「あれほど地獄を見せても何も心変わりしないとは」
 ではこれではどうだと、鬼が指差した。川上から流れてきたのは、哀れにもどろどろに崩れた溺死体であった。
「わかるか?」
 男は言った。
「溺死体です」
「そうだ、お前の溺死体だ。お前は溺れて死んで腐ったんだ、分かったか」
 だが、男の表情に変化はなかった。
「わかりました。しかしきょうは会議に出させてください。大事な会議なんです」
「これだけ教えてもわからんか」
 鬼は呆れ果ててしまった。
「出してやろうよ、娑婆に」
 言ったのは閻魔だった。
「これは閻魔大王様。しかし亡者を娑婆に出すわけには…」
「必ず帰って来るって。だから出していいよ。出してやらないと気が済まないんだから」
 閻魔大王のはからいによって男は娑婆に戻ることができた。男は娑婆の空気を思い切り吸った。やはり娑婆はいい。車も人も賑やか、排気ガスのニオイはむしろ香しい。そして男は会社のドアを開けた。懐かしい同僚や先輩や後輩たちの顔。やっぱり会社だ。そして大事な会議に接待。やる気が出て来たぞと男はこぶしを握りしめた。だが、男は居場所がなかった。
 閻魔は正しかった。男は結局地獄に戻って来たのは、会社でポストがなくなってしまっていたことに気付いたからであった。男は三途の川の畔でうなだれた。
「オレのポストが…」
 誰かが男の寂しいつぶやきを聞いた。
(了)
 
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2019年10月29日

「哲学ナマズ」作・田畑稔(no.0129.2019.10.29)

 長生きのナマズがあった。
 沼には岸に続いたこんもりとした盛り上がりがあり、そこに洞窟がある。洞窟の入り口は水面より下にあり真下を向いている。もし洞窟に入りたければいったん潜ってそして浮かなければならない。その洞窟にナマズが住んでいると言われていた。
 たいそう長生きのナマズらしく、誰かは少なくとも自分が子供のころには洞窟で暮らしていたと言い、別の者は祖父の代からであると言い、他の者はそれ以前から生きていると主張している。 
 ここのナマズの最大の特徴は哲学することにある。
「ここか? 哲学するナマズがいるというのは」
「そうだ。岸が出っ張っているだろう。この中に洞窟があり、ナマズが住んでる」
「話ができるのか?」
 男は岸の出っ張りの前に引き出された。
「何か言うのか?」
「哲学問答しかしないナマズだ。哲学っぽいこと聞けよ」
 男は質問した。
「人はなぜ哲学をするんですか?」
 言葉が心に響いた。
「哲学をすることが哲学である」
「哲学は誰にでも必要ですか?」
「必要であることそのものが哲学である」
「人は死んで哲学は残りますか?」
「哲学にとって哲学は残るであろう」
 男は聞いた。
「どうだ? ありがたいだろ?」
 哲学ナマズの声を聞いた者が言った。 
「わからん」 
 哲学って難しいねということはともかく、哲学ナマズを売り出そう、地域活性化だということになった。なにしろ名物になるものが何もない町だった。食べるものだとだいたいどこにも似たようなものはあるし、仕入れやら賞味期限だの決まりも多い。それに比べて哲学するナマズというなら面倒はない。しかも哲学と名が付いて博識な感じがするということで町は大いに沸いた。
「そもそも哲学ナマズはどこにいるんだい? 誰か見たの?」
「そのへんはまだらしいな」
「水の中にいるらしいから、そのうちということで」
 町では早速、哲学ナマズ縫いぐるみ、哲学ナマズ置物、頭がよくなる哲学ナマズ饅頭、同じく秀才を作る哲学ナマズ煎餅、さらに、ありきたりな焼きそばやタコ焼きといった出店が並んだ。町の観光スポットとして知名度を上げていった。だが、努力の甲斐あって集客は伸びたが同様に質問も増えた。
「ナマズって本当にいるの?」
「よく聞かれるね」
 哲学ナマズで商売している者は皆返答に窮していた。やっぱり実物を確かめなければならないということになった。潜水部隊が組織された。男たちが水に潜った。その結果、やはり岸が盛り上がった下に穴があり上は洞窟となっていた。その洞窟にナマズはいる予定だった。しかしナマズはいなかった。なんども確認したがナマズはいなかった。
「結局ナマズはいないじゃないか」
「残念だ。ドジョウもいなかった。ようするにヒゲのあるものはいなかったということだな」
「でも哲学ナマズの会話を聞いた者はいるんだろう?」
「いるよ。オレも聞いた」
「じゃあ、それはいったい何だったんだ」
 だが今となっては、哲学ナマズはいなかったという情報を素直に発表することはできなかった。町も個人も出資し哲学ナマズを売り出し、饅頭まで作ったのだからと。
「哲学ナマズを作ってはどうだろう」
「つくる?」
「いないんだけど、神秘性を持たせて、なかなか見られないということにしてさ」
 町の者たちは、取り繕ろおうとしたのだ。もう一度洞窟に入って神棚と縫いぐるみのご神体でも置いてこようとなった。男は一度、哲学ナマズの会話を聞いたことがあったので潜るよういわれた。もしかしたら哲学ナマズが現れるかもしれないという期待もあった。男が潜って洞窟に顔を出すと小さな棚があり、神棚とご神体を置いて来ることにしていた。
「来るな!」
 男は洞窟で声を聞いた。水面から顔を出してライトをかざして洞窟内を見渡した。哲学ナマズがついに現れたのか。洞窟内の壁も水面も特別変化はなかった。しかし確かに声は聞こえた。
「来るなと言ってるだろ!」
 声は繰り返した。
「お前は誰だ。哲学ナマズなのか?」
「ナマズなんて下種な存在じゃない」
 声は洞窟全体から届いたように感じられた。正体不明の声の主は男が洞窟の中に置いたご神体が不満なのかと思った。
「わかりました。ご神体は持って帰ります」
 男はご神体を取ると洞窟を綿密に調べようとした。正体不明の声は言った。
「まだわからないのか、ここへ来るなと言ってるだろ」
「あなたはいったい誰ですか?」
 正体不明の声の主は、少し間を置いて言った。
「では質問に答えたら教えてやろう」
「わかりました。質問に答えればいいんですね?」
 男はひらめいた。哲学問答で挑んでくるに違いないと思った。
「親の子が息子と娘の場合、息子は娘の何なのか」
「え? 哲学ではないんですか? 親の子が息子で…」
「答えられないようだな」 
 洞窟の天井にヒビが入ったかと思ったら、崩れた岩石が男の上に降って落ち、男をつぶした。
(了)
 

 
posted by 田畑稔 at 10:35| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする