2019年08月31日

「若者たち」作・田畑稔(no.0070.2019.08.31)

 部長は疑問を感じていた。
 最近、ミスが多いと。それも一人や二人のことではなく、若い社員全般にいえることだった。なぜそんな単純なミスをと。電卓を持っていれば誰でもできるような計算のミス、電話の取次ぎのミスや伝言の伝達忘れもあった。
 伝言を、家に帰って忘れて日時が過ぎてから思いだしたり、電話がかかってきて、伝えるために振り向いたときにもう聞いたことと違うことを言っていたということもあった。この時は、相手先との見積もり契約を会社がすっぽかしたという話になってしまい、本来勝ち得たはずの契約がキャンセルされ、部長が役員会に呼ばれ申し開きしなければならなくなったのだった。
 なぜこのような社員が増えてしまったのか部長はわからなかった。若手社員がほぼ同様の傾向だからだ。だから怒ることもできず考えあぐねていたのだった。
 ある中間管理職が言った。
「あいつら、わざとやってるんですよ」
「わざと?」
「そうですよ。単純な足し算まちがったり、伝言忘れたりなんかするもんですか。本当に忘れてしまったのなら、そもそも学校で何習ったのと聞きたいところですよ」
 部長は聞いた。
「わざとだとして、なぜそんなことを?」
「仕返しでしょう」
「しかえし?」
「若い連中って、とにかく管理職を嫌っているんです。恨んでるといったほうがいいかもしれませんね」
「理由は?」
 というと中間管理職は両方の手のひらを天井に向けた。
 確かに若手は感覚が違うのだとしても恨まれる筋合いはないだろうと部長は思った。理由がわからなかった。そういえば若手社員を新人類などと呼んで特別視したのは昔のこと。もっと違う人種が現れたのかもしれなかった。
 そのころマスコミで話題になったのが、若い人と中高年で聞こえ方に差があるという話だった。それによると、若い人はいわれているよりもっと高音が聞こえているというものだった。
「部長、この音聞こえますか?」
 中間管理職は携帯電話をかざした。
「どうかしたの?」
「高い音が発信されているんですが、聞こえませんか?」
「聞こえないけど」
「やっぱりねえ」
「君は聞こえるのかい?」
「いえ、ぜんぜん」
 中高年は、若い世代はこのころ既に高音による車のノイズ音だったり女性の悲鳴だとか、中高年の聞こえない音で情報伝達ができるようになっていたのを知らなかったのだ。
 さらに音による仕事の達成感や快不快の感覚自体が変化してきていた、若い世代はもはや感覚の異なる世界の住人であるとさえいえるようになってしまっていたのだった。
「部長お話があります」
 若い社員のほうから話があると問いかけられるのは珍しいことだった。
「話とはなんだね、なんでも聞くぞ」
 若い社員はいった。
「それがダメなんですよ。管理職は若手のカウンセラーなんですか? カウンセラーならそんなに給料いらないでしょう」
 唖然としている部長に若手社員は続けた。
「我々はあなたたちのいない世界にいきます。少しだけ周波数の高い帯域です。そこであなたたちと会うことはありません。さようなら」
 そして社会から若い世代はいなくなって、本当は最も仕事のできない中高年だけが残った。
(了)
 



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2019年08月30日

「王」作・田畑稔(no.0069.2019.08.30)

 少年はキリギリスを飼っていた。
 キリギリスを飼うのは初めてであり、少年にとっては想像以上に大きな昆虫だった。
 キリギリスは眼球も動かず無表情だが、しかし虫かごに移動したとき握った羽根に包まれた胴体が太くて柔らかく、息づかいで胴体がかすかに震え、今までになかった感触だった。
 胴体には人間みたいな内臓があるのだろうか。例えば柔らかいスポンジのような物質で満たされているだけなのだろうか。
 わからないことだらけのキリギリスだが、キリギリスは何を食べているのだろうかというと少年はよく調べていた。キリギリスのエサはキリギリス、共食いである。しかし共食いを見ることがない。
 数を正確に数えて就寝するのだが、朝目覚めるとキリギリスは減っている。数日おきにキリギリスはいなくなっていき最後には一匹のみとなる。それが虫かごの唯一の変化といえばそうかもしれなかった。少年は、最後に残ったキリギリスを王と呼んで尊敬している。
 キリギリスが鳴き始めた。キリギリスにも主張があるのだろうか、または不満があるのだろうか、何かを改善してほしいのだろうか。少年はキリギリスをなおいっそう見つめた。
 キリギリスの目を凝視していると次第にキリギリスの目に引き込まれているような気がするなと思ったら、自分はいつの間にか虫かごの住人になっていたのだった。
 虫かごはなかば枯れている雑草が敷き詰められており、居心地は悪くはなかった。
 カゴはやや風が流れており心地よかった。一つ異臭がするのだが、よく見るとプラスチックでできたカゴそのものであった。
 キリギリスは突然鳴き始めた。泣くことはどういうことであるかとキリギリスとなった少年は初めてわかった。自分で意図していたわけではない。羽根が勝手にこすり合わせを始めたのである。思いのほか大きな音だった。むしろ騒音に近い。キリギリスは何かに不満があって鳴くのであると知った。
 キリギリスから見ると周囲は大きなものばかりだった。だが、そんなものは彼にとって存在していないと同然だった。キリギリスは頭から胴体まで快感で満たされていた。感じるものは全て眼球も鼻腔も、耳さえも心地よかった。
 少年であったキリギリスは、王となった感触に今浸っていた。王となるとはこういうことだったのだと。
 そして王となったキリギリスは空腹を感じていた。空腹もまた快感であった。猛烈に食べたいという意識で体中が満たされたのだ。だが、虫かごにはいま少年だったキリギリスしか存在していない。だが食べたい、キリギリスを食べたいという食欲に少年だったキリギリスは我を忘れそうであった。
 少年は目を覚ました。既に虫かごの住人ではなかった。人間であって、目の前に虫かごがあった。少年は夢を見ていたのだった。だが不思議なことに少年の胃の腑が満たされていたのである。それは空腹のときに何かとってもおいしいものを食べたような満足感であった。
 眠っていた時に何かを食べたのだろうか。
 ふと虫かごを見ると少年が王と呼んでいた最後のキリギリスがいなくなっていた。まさか自分が食べたわけではあるまいと思った時に、唇になにか感触があった。
 触ってみると、唇にキリギリスの後ろ脚が引っかかっていた。
(了)
  

 
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2019年08月29日

「千羽鶴」作・田畑稔(no.0068.2019.08.29)

 ケンはイジメに遭っていた。
 級友の中にイジメグループがあった。通りすがりにケンの額をはじいたり、いつの間にか上履きが後ろの椅子にかけらりとか、そう大きな肉体的なダメージを負うものでなかったかもしれないが、ケンは体が小さくひ弱で自分をイジメる子たちにし返すことはできなかった。だから精神的なダメージは大きいのだろうと、級友である少年はひそかに思っていた。
 少年自身はイジメはしなかったのだが、イジメ少年たちにそれを阻止する勇気と力はなかったのである。ケンのことは人一倍気にしてはいた。以前、一緒に学校を帰ったり、お互いの好きな海獣を披露しあったりしたものだった。
 それが一部のイジメグループがケンをイジメだすと、少年はケンと付き合うことができなくなってしまった。少年はケンを庇えなかった自分自身が情けなかった。だがグループと張り合うことはできなかった。少年はむしろグループのイジメに気付かない振りをしていた。努めて知らん顔をしていた。でも皆気付いていたに違いなかった。ケンは決して少年を振り返ったり、助けを求めたりしなかった。時々すれ違うと朗らかな目をむけた。少年にはむしろそれが辛かった。
 ケンは時々学校を休むようになった。小さな不調かなと、最初はそうした感じだったがついには長期休業に至ってしまった。
 大きな病気かもしれないと誰も思った。そのうち担任教師から正式な連絡があり、ケンは長い期間療養に入る。みんな元気になるよう励ましてやるようにと。
「ケン君、入院したんだって?」
 母親が言った。
「お見舞いに行かなくちゃ。あんた友達でしょ?」
 母親が率先して、数は少ないが千羽鶴を組み立て、お見舞い用の果物を用意してさあ行け、行って来いと尻を叩いた。しかし、その計画は直前で中止の憂き目にあってしまった。
 ケンのお見舞いに行かせますと母親が担任教師に電話を入れたら、教師が待ての指示をだしたのだ。それはケンの病状に関係したことだった。ケンは肺結核で入院したので、そのケンと子供が直接接触することによる結核の伝染を恐れたのである。少年は、病院の玄関口でケンの母親に見舞いに関する幾つかを手渡した。
 少年はケンに会わずに済んでむしろホッとした。会って何をいえばいいのか、どんな顔をすればいいのか病院の門を叩く時になってもわからなかったのだ。
 ケンは病院から出て来ることはなかった。その噂もなかった。いつしかケンの存在は徐々に忘れられたものとなっていって行った。イジメグループにとってみればもはやケンなど最初から存在してなかったかのようであった。本当にそうならば悔しい、と少年は思わずにいられなかった。しかしその後ケンはどうなったのか、退院したのかどうかさえ誰も知らなかった。誰かが、死んじゃったんじゃないかと言って以来ケンは死んだのだという話になり、その後は誰もケンのことは話さなくなったのだった。
 それから数年後のことである。皆がそろそろ高校卒業後の進路を決めなければならないとしていたころだった。少年の元に若くてたくましい青年が現れた。
「ケン? ケンなのか?」
 ケンが現れたのだ。しかも身長が伸び背幅はがっしりとし、あの小さくてひ弱なケンとは見違えるようだった。ケンは入院生活で全快したあと、別の学校に転入したということだった。
「体が大きくなったよなあ」
「柔道やってんだ」
「そりゃあすごい」
 今だったら、イジメられることなんかないのになと少年はそう思った。
「千羽鶴とフルーツありがとう。それを言いたかったんだ」
 ケンは、昔の些細なことを忘れなかった。少年は返事を返したかったが、こみ上げるものがあってできなかった。
(了)




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